変化の過程を見せて貰っているかのように
やり直し みたいな事が起きてるかな
例えば思いクセに対する自動反応を
修正上書きするためのやり直し とか
見た目は全く異なる出来事として訪れるけど
よくよく解くと
以前絡ませて持ち続けていた自動反応クセが
反応するような事が流れて
それに対してどう反応対応するか みたいな
そんな感じ
以前は速攻思考に飛びつかれて
感情のまま対応していたのが
今回は離れて距離を置いて眺めながら
自分の中で飛び出しそうな動きがある事を
見つけられてみたり
それを出さずに静かにしてたら
どうなるか観てみたりとか
何だかそんなのが起きているみたい
そんなのを目の前の現実と
同時進行に眺めていると
思考や感情の動き というのが感じられて
あーこうやって今までジバクしてたのかーと
納得しちゃったり
つくづく
思考や感情は自分のものじゃーないなーと
改めて感じてみたり
嬉しい や 楽しい や
キツイ や クルシイ や
みんな自分の中で起きているけど
でも わたしのもの ではない
わたしの意図とは関係なく
それは反射的に起きてくるし
そのうち勝手に消えている
心臓操作が自由に出来ないように
思考や感情も自由に操作できるもんじゃない
そりゃー
自分で考えた 自分が感じた って
思う事は出来るし
そう感じるのがふつーかもしれないけど
そう「思う」時点で思考だから
あくまで思考の中のひとつ という認識
ここは確固たる「自分」が居る限り
結論も解決も出来ないトコロ
うーん どうなんだろ
そこらへん知らなくても解らなくても
何となく「ん?」というのはありつつも
無意識レベルで自然と流れて
いつの間にか受容出来るようになっちゃう
そんな感じもするしなあ
もしくは
それを実感しなくても事が運ぶような
そんなルートで流れるのか
まあ 色んなのが無限にあるんだろうから
どんなのがあっても
いいんじゃないのかな
私はこういうのを実感として
感じたり観察するのが好きみたいだから
自分という器を実体験として
思考の浮き沈みとか身体の痛みとか
そんなのを眺めていたりするけど
言葉にすることによって
理解する人もいるだろうし
そこから感覚が伝わる事もあるだろうし
どれが正解って事はないんだから
その時々のじぶんに合うものが
キャッチされ溶け込んで
自分の中のカタマリや「?」を
どんどん緩めてほぐしていく
たくさん生きて来た人たちは
あー 今まででよかったんだ って
そう感じられるようなナニカが
どこかに置かれているような
そんな気がするなー
楽しみね