自分という世界を形つくる言葉たち
いまは本当に
自分の動きは最小限で
パタパタと沢山動いてくれるみたいで
その
ぎゅーっとした濃密なものから
どこまで自分が引き出せるか
感度を上げて呼応できるか
あまりにも沢山のサポートと
ギフトがありすぎて
今までのようにそのままボーっと
やり過ごしてしまうにはモッタイナイ
そんな気分にもなっています
自分から出てくる言葉
誰かの言葉や感覚に反応している自分
そこらへんに
ほどくヒントがいっぱいあって
ん? 今なんでこの言葉が
自分から出たんだ? とか
この人のあの言葉に
いま自分は反応したなあ とか
それは多分
とくべつな会話じゃなくてもよくて
ふつーの何気ない会話 や
電車の中で聞こえて来た会話 とか
買い物途中の店員さんとのやりとり とか
そんな今まではまーったく流してきた
日常の流れの中に
いま 自分の中の詰まりのようなもの
いま 自分の中で目を向けてほしいもの
いま アンテナ立てといたほうがよいもの
そんなものらのヒントやメッセージが
ぎゅうぎゅうに詰まっていて
しかも 気が付きやすくなっているみたい
ボーナスタイムみたいな(笑)
だからやっぱり
どれだけ 自分 に目を向けるか
自分の中の見えていないquestion
聞こえてきていないココロの叫びのようなもの
開けていない扉
矢印を自分に向けていると
自然とそれらに関連する物事が
入って来るから
ことば というのは
それを耳にしたということは
それを見たということは
その時点で
その ことば の効力は
働き始めるから
何を聞くか
何を見るか
どんな ことば を
自分に取り入れるか は
だいじだなーと 感じます
今までの人生 と呼ばれるもので
いつの間にか無意識に
自分に取り入れてしまっていた
ことば を
もうすっかり忘れてしまっていた
その ことば を
ひとつひとつ探して
その 古きことば を
自分の無意識レベルから
掘り起こして
自然に返す
大いなる流れへ戻す
そんな事を
やっているのかもしれません
それをしてどうなるのか
この世は ことば で出来ている
とも言えます
だから
自分の世界 が変わります
常に頭の中に響いている言葉
そこに気づき
そこへ意図を持って
意識的に じぶんのことば を
響かせるとき
何が起こるのでしょう