飛ばされても戻ればいい
暦の上で今日は立秋らしい。
そう、もう風が秋風に変わって来てるんだよなーとか朝晩感じるようになっていた。
8月に入ってからの変化スピードについていけず(笑)、自分の内側を整えてるうちにもう次の変化が訪れる。言語化する間もなく去っていく。
いま目の当たりに観せて貰っているのは、人というものが心の奧深くに長年しまい込んで掴んで来た「思い」というものは、その年月の間に脚色され強固され元の形とは違ったモノとなってしまってるんだなーということで。
「昔あの人にこう言われた」とか、本人はその当時のまま覚えていると思っているかも知れないけれど、年月というものが様々な脚色を加えてるし、そこにはそれ以外の色んな思いも絡み合っているから、当初のモノとは全く別物となっている。
もうね、本当にそんなものとっととサヨナラしちゃったほうがいい。
いま、自分が「そうだ」と思ってることが、必ずしも「そうだ」とは限らないのだから。
そんなものをずーっと抱えて生きてきて、どれだけ苦しかった事だろう。
どれだけその裏側に隠れてる「自分への罪悪感」に怯えて生きてきたんだろう。
そんなマボロシ抱えて生きなくても大丈夫だから。
「あの人が」「あの時」「あれがなければ」
全部ぜんぶ 過去 に生きてる。
それらを思い出すたび、それらの話をするたび、すればする程過去に生きてる時間が長くなる。
それは、いい思い出もわるい思い出も一緒。内容問わず、変わらない。ぜんぶ過去へ飛ばされてしまう。
思い出バナシに花を咲かせるのもワルクない。でもそれは一時のお楽しみ程度にして、そこから過去の思考に取っ捕まらなければいいのだけれど。
多分いまは色んな人に、過去の重めのリソースみたいなのが起きてるんじゃないのかなぁーと感じます。
その時はドップリはまっちゃっていいと思うのです。おそらく無意識化に及ぶことだろうから。
もう観念して味わい尽くしちゃう。
ぜんたいの軽さで、戻る時はスーっとケロッと戻れちゃうかもしれません。
そしたら自分の真ん中で落ち着けばいいと思うのです。
しばらくの間、現象と真ん中でウヨウヨするかもしれませんが、なるべく1人の時間取ってリラックスして。
どれだけ周りが騒がしくても、自分の真ん中は穏やかで安らかであることを思い出して。
何よりも、その時はそうであるのだから、そうである自分を責めないで大丈夫です。
それにより遅れることも早まることもないのですから。
ドップリはまって浸かって、そして自分の真ん中へ戻ってひと息ついたならば。
「さて、今回のこれは、何を気付かせるためのものだったんだろう」
「今回のこれで、私のどの部分が反応して、どのように感じたんだろう」
ドップリ浸かった経験で終わらせるのではなく、それに対して自分がどう感じたか、どう反応したか。
そうするとまた、今まで隠れていたものが観えて来たりするかもしれません。
まだしばらくは
この変化変容は続きそうです
振られてもいいから
真ん中へ戻ってくる
戻る場所があるのだから
そこでひと休みして
和らいで安らいで
何度でも戻れるのだから
大丈夫
疲れたら 休んで
たくさん寝て リセットして
変化は早いけれど
ゆっくり ゆっくり
まったり まったり