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「自分」なんて入る隙間もないなあー

スマホの機種変をしようと思って来店予約を入れ 前回アプリ移行であれこれ面倒だったのを思い出し 継続して使うアプリの移行調べとかなきゃなーとか思っていたのだけどこれまた気が向かずやらないでいたら もうタイムリミットだからさてやろうかと思って動き出そうとしてたら 来店についての確認電話が入り 普段電話に出れることは殆どないのに何故かその時はスマホいじっていて着信出来る環境であったから受けることが出来て 手続き後も月内は旧機種も手元に置けるという事を聞けて 今やらんでも大丈夫となった

こういう事なんだよなぁーと電話を切りながらマジマジと思う
意識を向けている(向けた)事について 無理やり考え抜いてやろうとしなくても あちらから最善がやって来る
もう当たり前のようにそんな事が起きるのでエゴ騒ぎはしなくなったけれど 大昔の私なら「なんて偶然! なんてシンクロ!」と浮足立ってた事だろう
いや~ラッキーでも何でもない そうなっている

今は詐欺電話もフツーにかかってくるから知らない番号は着信気が付いても出ない 本気で用があるなら留守電に残すだろーとそれ以外はスルーする
けど たまたまスマホいじっていて電話も出れる環境下に居て たまたま以前登録してあった店の番号からかかって来たから出て それによってその時「やらなきゃなあ」と思っていた事がその時やらなくても大丈夫なんだと知った

基本的に電話出ないけれど 繋がらなきゃいけない人や事は ちゃんと出るようになっている って事をここ数年のあれこれで実感してもうそこらは疑う事がないけど それでもやっぱりピタリとはまって見事に収まると すごいよなーと感心してしまう



日常って こういう ”事” の流れが
あまりに見事に流れてるから
きっとその事に気が付きにくいんだろうな

あまりに美しく流れて
あまりに完璧に流れてるから
その 完璧さ完全さ が
そんな事あるわけないって
自我意識が働いて
観えにくくしてるんだろうな

その根底には
自分は完璧完全ではない っていうのが
あるからなんだろうけど

そもそもそこが勘違いで
それがスタートで成り立っちゃてるから
全くもうーって感じなんだけど
ココの仕様だから仕方ないやあね

だからこうやって
この美しさ完璧さを見せてくれて
そうである って事に触れさせてくれて
思い出しのキッカケを作ってくれている



「自分」というものが
挟む余地もないくらい

すべては美しくて
完璧で

でもって
その中に
我々ニンゲンってものも

もれなくみぃーんな
含まれている


完璧でないニンゲンも含めて
全てが完璧なんですね じゃなくて

あらゆるすべてが完璧

その 不完全さ(と思っているの)も が
完璧

まあ 完璧って言葉使うと
頭はたらいて
何か成されたかのようにも感じちゃうけど
努力の先にこれがあるのではないし
何かがあったからこれに成ったのでもなくて

もともと。



もうね
すごいね

びゅんびゅん飛んで来るね
ひゅんひゅん起きて来るね

これでどうだーって
これなら思い出すだろーって



どこかから
ワハハと大笑いが
聴こえてきそうね




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