美味しい新米をいただきながら
近所の和菓子屋さんで曜日変わりの団子を買おうかと覗いたら 先客のご婦人がいらして後ろに並んでいたのだけれど
支払いと商品受け取り終わった後に予約品のお話始まって その前のお店の方とのやりとりから何ともあまり好きではない圧迫感感じていたのだけれど
まだ終わりそうにないやりとりとその雰囲気に疲れちゃって お団子諦めてお店出てきちゃった
何だかなーと思いながら 何に反応したかなと思い観て
多分そのご婦人の 疑うエネルギー・コントロールしなきゃエネルギー・よりよいものを得たいエネルギー にやられたらしい
少し前ならもう少し踏ん張れたのかもしれない
でも今は ストレートにその感覚というかエネルギーが入って来ちゃってとっても疲れる
そういう場に居られなくなってきている
もうそのルートというか感覚の人は
どんどんそちらへ進んで行くから
こうやって離れていくんだなあと改めて感じて
まだどこかしら何かしらに残っているんだろう自分の中のその古い産物らにお別れ告げて
そういうのあるよなあ そういうのあったなあ
もう自分には合わないから要らないなあー と
確認したらスッキリした
ちなみに そのご婦人はあからさまではなく
多分ご本人は上手く丁寧にやれていると
思えているだろう範囲で
それでもその丁寧な言葉遣いの裏にあるものが
飛び出して感じられてしまっていたから
ああこうやって見抜かれていくんだな と
見せて貰った場でもあった
これからは今まで上手に隠せていたものが
実はもう丸見えになってしまっているかもしれない
そのくらい 軽くなって来ていて
じゃあどうすればっていうのはないのだけれど
一番楽なのは
"隠すものないもん" 状態に自分がなればいいから
やっぱり毎日の
小さなちいさな 振り返り 手放し お掃除
誤魔化さなければいけない自分 がないように
自分がじぶんに誤魔化す必要ないように
そうで在るように
今日は新嘗祭の日で
今年も美味しい新米をいただく
美味しいお野菜お米農作物を
作ってくださっている方々
ありがとうございます
自分では作れないけれど
作ってくれている方々のお蔭て食べられて
毎日美味しくいただいています
この目の前の新米がここに届くまでに
どれだけの関りがあるのだろう
作る人 運ぶ人 売る人 をはじめ
天候という自然ももちろん
ものすごいかかわりを経て今目の前にあって
それらはすべて ご縁 とも言えて
この世の中は
じぶんも含めて
ご縁の循環で流れている
ありがたきかな
摩訶不思議かな
すてきなセカイ