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飽きないヒト

気が付いたら正月も三日になっていて。
正月らしいことは何もしてないから、淡々といつもの日々を過ごしてただけだけど。
ふとさっき思ったのは、つくづくコイツは見てて飽きないなあということで。コイツというのはまあ自身kitomaの事だけど。

今朝も磯辺焼き食べようとオーブントースターでお餅を焼いてるとき、小さめのお餅がコロンと網目をくぐり抜けてトースターの中に落ちた。
箸で掴もうとするが上手く掴めず、コロコロさせてるうちに火がついた。
「餅が燃える~」とか言いながらさすがに焦ってトングに持ち替えようやく救出する。
「火事の原因が"餅が転げ落ちたから"は嫌だなあ」と餅救出中に思ってたのと、「全部丸焦げにならなくてよかった~」と焦げた部分だけ落とし、巻いた海苔でパフパフ無事頬張れて喜んでる。 アホだな。 と思う。

仕事納めの日に自分のデスク周りをピカピカにし、さて一服と淹れたコーヒーカップを見事にひっくり返し、掃除したばかりの場所を何ならさっきよりも念入りにまた掃除してる。「パソコンにかからなくて良かった~」とか喜びながら。

年末休みの初日に「今年最後の整え~」とか思いながら整体訪れたが「お疲れですね」と言われる。仕事は暇だったし疲れてないはずだけど?とか思ったら、前日夜から始めた大掃除もどきで普段使ってない筋肉使って身体がお疲れだったらしく、いつもは何処かしらの不調で出ている痛みも今回は自分の事ではめったに聞かない「筋肉痛」という言葉で終わった。
「ふだんの掃除もうちょっと真面目にやれば筋肉つくのかもしれないかしらん」と頭をよぎる。いや、その理由付けんでもやれよ、と自分の中で突っ込みが入る。

正月二日目の昨日はなぜだかトマトポタージュが飲みたくなり作る。お腹が空いてたので冷ますの待たずにミキサーへ入れ、見事に圧力で爆発させる。
「トマトが爆発したー!」と慌てるが、何気に遠心力で綺麗な放物線描いて飛び散ってる事に「ほ~すごいなぁ」とか思いながら大掃除したはずの台所をまた掃除してる。しかも「流れに沿って飛んでるから見つけやすい~」とかまた思ってる。

つくづく見てて飽きないなと思う。
殆んどのことがマイナスモードにならなくなったのがいつ頃だったからかもう憶えてないけど、一般的によろしくないとされる出来事が起きても瞬発でその時の「ヨキこと」に目が言っちゃうというか拾うので、大変だと思う暇がない。何ならそれが起きたこと自体楽しんでたりする。
この思考回路が何なのかはよく分からんのだけど、ちょっと離れて観たとき、本当にこいつアホだなーと思いつつ、色々やらかしても本人がそれに対して喜んでるだけだからなーんも残らんのねーと思う。

自分で自分が何やらかすか分からないから面白いんだと思う。何かあった時、その時自分がどう思い感じるか、分からないから興味あるし面白い。世の中で一番分からないのが自分だ。

何をやらかすか分からないというのは「流れ」の中でどう動くのか分からないということで。それとは別に自分の意図するものというか、こう在りたいというのはあって。
で今年は何かなーとか思ってたけど。

今年はとにかく
「自分をご機嫌さんにいさせる」ことかなーと思っている。それが最優先。
自分をご機嫌さんに。気持ちが向くもの、心地よいものを基準に動くのと同時に、今まで「まあこれくらいなら」と多少のズレは見逃してた部分を妥協せずにスパッと切り離し手放す。ぐだぐたと振り返らない。先の心配をしない。
とにかく「イマココ」、目の前に現れてる事に真摯に正直に接する。
あとは、現す。
昨年から少しずつ現すということを始めてきたけれど、今年は他の方法とかもやってみたり。そして自分がみえているもの、聴こえているもの、感じているものをそのまんまのカタチで現す。わたしは単なる導管として。
このkitomaというオリジナルティ導管・空筒を通して単に現す。
それをどこまで流れに沿ってできるか。
それだけじゃないかなーと思ってる。


暮れに滑り込みで買った半纏ポンチョが大活躍で、お陰さまでこの年末年始フトンを着て動いてるような暖かさで過ごせられた。
身体を暖めること、緩めることは日課となっていて、それでだいぶ調子も変わることを体感してる。ハラマキも今冬デビューした。
足首をくるくると回す。
これも1ヶ月くらい続けていて、歩くときの安定感は増してる気がする。
朝と寝る前、片手でかかとを持ちもう片方で足甲を持ち、足指先からかかとまでが1本の棒のようなイメージで、くるぶしを機転としてくるくる回す。くるくる、くるくる。
私は寝起き身体が固まってるからとても分かりやすいのだけと、始めは両足ともカクカクとしか回らない。回数も3回~5回ずつくらい。でも2順目はもう少し動くようになるし、3順目は流れるように動くようになる。身体ってスゴイなと思う。少し動かせば柔らかくなる。
お医者さんは「痛みがある時はあまり動かないように」と言われる。でもじっとしてると身体が固まって尚更動けなくなる。炎症起きてる所に負担かけるのはよくないとしても、それ以外のところは解す意味も含めて少し動いた方がいいと思ってる。炎症が薬で収まったとしても寝たきりになったんじゃー全く意味がない。
もう数字だけの医療もいいや、と思ってる。
自分のその時の身体の調子に、声に、耳を傾ける。それが何よりかなと感じる。

世の中の一般常識が、当たり前が、私にとっては当たり前ではなくなってきてるし、それでいいと思ってる。それの方がどうやら私には心地よいらしいから。
もうそこら辺を妥協するというか誤魔化すと、自分が苦しくなるからやめている。
自分には嘘を付けない。
それは心地よくない。
そうなってくると世の中とはナンゾヤとなるけど、結局は「世の中」なんてなくて、あったのはそれに対する自分の「思い込み」だけだったことに気づく。
これからそういったのもどんどん外れて行くんだろな。その分どんどん軽くなる。

一瞬一瞬、その時どう感じてるか
何を心地よいと感じるか
よくもわるくも
どれだけそのトキを味わえるか
せっかく身体があるのだから
楽しみながら今年も過ごしたい

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kitoma
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