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何を守ってきたんだろう

仕事納めもだいたい終わって
街中も年の瀬ムード満開で
若者たちは何やらお出かけで
親世代は暮れの買い物で慌ただしく
何となく全てがバタバタしているよう

とか言う私も最低限の買い忘れがないよう
あれこれ頭巡らせながら
まー無きゃ無いでどーにでもなると
正月三が日まであればよい分だけ
買い物して来たり
実際それがなければ大変な事になんて物は
ひとつもないのだから

それでも何となく
大晦日にはお蕎麦食べたいなーと思うし
元旦はお雑煮食べたいなーと思うのは
今までの習慣でもあるけれど
それはそれで楽しいからいいかな



たぶん
自分で思いつくよりも
もっとずっと精妙で巧みなものが
辺り一面動いていて

それはページをめくったら
次の話が読めるように
順繰りにやって来る

でもってそれは
人間頭である「自分」には
幾ら考えても届かない世界で

今まではそれがどーにか
考えれば解るんじゃないかと
頑張って来た時代だったけれど
もういい加減
頑張って辿り着くとこではないんだと
むしろその 頑張り が
逆方向へ向かっているのだと
そもそもの 土台が違うのだと
色んな方法で教えてくれていて

諦めがついた人から
頑張りをやめて チカラが抜けていく



掴んでいた手を
離せば離すほど
知りたかった事が寄って来たり

隠れて見えなくなっていたものらが
ひょっこり姿現わしたりする

で ものすごーく複雑だと思っていたものが
実は 複雑に考えてただけで
至ってシンプルだったり

絶対に難しいと思っていたものが
へ?となるくらい軽やかに済んでしまったり

どんどん
自分の思考や思いというものへの信用を
気持ちいいくらいに崩されて行く



少し前ならば
自分を崩されるということに
少なからず反発や抵抗があっただろうに

今はあまりにもスコーンと
小気味よいくらいに壊されるので
抵抗起きる間もなく次へ移っちゃう

そして速攻その空いたスペースに
新しい気づきがやって来る



色々な人の言葉を通して
様々なツールのオトを通して
この身体の五感というものの
あらゆる角度からの刺激を通して
そうだったんだ が やって来る

それは
屁理屈もつけられない
圧倒的なもの

その そうだったんだ も
段階があるようで
どんどん深く なって行く

この前理解したと思ったのに
まだあったんだ と なり
それが何回も何回も続くことで
理解した という思いすら
思い上がりなんだと 知る



まるで 全方向から
囲い促されているようだけれど
もう既に
それで着ぐるみ剥がされて行くのが
心地よい

自分で作った自分が
ポロポロ剥がされて行って
その 新しい面から
どんなじぶんが見れるのか が
楽しくなってきてしまう



自分という囲いを
守らなくていいというのは
なんて気楽なことなんだろう


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kitoma
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。