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これからではなく既にそう

この時季はあちらこちらでイベントや
お祭りやらが行われていて楽しい

ふと出掛けた先でマルシェ物産店に出会い
その場でココロときめく物を買うと
その時必要なものがちゃーんと来てくれている

その日の朝採れたものは元氣でパワフルで
都内ではなかなか常時買えないから
そういった出会いは嬉しくてありがたい



もう食べ物も 量は要らなくて
エネルギーのヨキものを少量摂れば
よくなってきているみたい

年齢とかそういったものではなくて
具合がそうなって来ている風に感じる

自然ではないものは中身がウスイので
どうしても量が必要になるけれど
自然に沿って育った食物らは濃ゆいので
量よりも質という風になって来て
量が要らないから多少単価が高くても
結果的には同じか安く収まる

身体の変化はそれぞれに現れてきて
各々おのおのが解るようにヒントが来るだろうけど
私もつい最近 ああもう
「食べる」に一生懸命にならなくても
大丈夫なようになったんだ って
意味理屈なくわかった

私の場合物理的に量を食べないと
身体を維持できないような状態が続いてたけど
どーやらそれも抜けたみたいで
食べても太れないここ数年で
「食べなきゃ」が常にどこかにあったけれど
年一の健康診断で体重が増えていたので
うふふとなった



パラパラと答え合わせが巡って来る毎日が
ここしばらくまた続いている

初めに「知る」がポーンと訪れて
そうなのかと思いつつも半信くらいの状態で
そのうち動かしようのない
「理解」がやって来て
最後のとどめで
「それでいいよ」の合図のように
答えが届けられ それが 安心 に変わって
それら一連が消えて行く

その 答え合わせが済んだものは
かつての何かのトリガーになっていたりもして
そこからまた次のフィールドになってみたり

どこがどう繋がって紡がれていくかは
全くさっぱりわからないので
”よく分からないけれど” で事が進んで
後から そうだったのか で理解する

今まではこれらが
あれこれ思考して考え抜いて
あらかじめ結果予測したりでより良き方へ が
スタンダードでそう成っていたけれど
今はそれでは上手く行かないし
多分それやってると自分がクルシイ



染み込んでいる習慣のような日常的思考は
どうしても同じようになりがちだけど
以前と違うのは 今はそうなった時に
「それでいいの?」と問われるよう何かが
その時やって来て ”習慣で動いていた”と
気付けるような流れになっている

それでも身体的習慣とかで流されていると
以前は心地よかったものが
そうではなくなって来て
「もう違うんだ」と分からされるように
何回も何回も教えてくれるし
それを続けていると
何だかもう落ち着かないから
自然と別の方向へ意識が向くよう
気付くようにされているみたい



すごいなあーと思うのは
振動が日常的に強くなってきていて
ちょっと意識をそちらに向ければ
その時の対象が 身体を通して
強く振動で感じられるようになってきている

そのとき 思考が強く働いていると
頭で理解を求めちゃうから
ちょっと違う方向へ行っちゃうけれど
思考を離してそれを感じられると
その変化が強く感じられるんじゃないのかな

頭をいかに止めるか
思考とどれだけスキマがとれるか
あたりがキッカケのひとつだから
やっぱり自分の真ん中で
鎮まれるのはとってもダイジ



ここまで出来たら変われる とか
ああなったら出来る とか
もう そこは通り過ぎているし
ちゃんとそこを観れば そういった考えは
外側ありきの世界なのだと気付く

もう 既に変わっている

こうなったらこうなる ではなくて
もう そうなっている

現実化が早くなるとか
そういった視点の話ではなくて
それはオマケとして
付いて来るかもしれないけど
段階的な状態でそうなりつつある のではなくて
もう そうなっている

これからそうなる のではなくて
もうそこに入ってる

だから 今までの知識の延長で
「そうなるらしい」と
今まで通りの日常ではなくて
一旦意識を切り替えてそこに向かい直さないと
今までの惰性サイクルから抜けにくいかも

惰性がワルイわけではないけど
もう既に変わっているから
その以前との異なりが不協和音となって
自分の中でズレが起きてくる

そしてそれを自我エゴが
「何かよくないことが!」と騒ぎ出して
思考ループへ迷い込むから
わざわざそれやらんでも
一旦意識を切り替えた方が早いし
スムーズに流れやすいんじゃないのかな



毎瞬生まれかわっている

希望的言葉に捉えられるこの文言が
リアルとして感じられる
そんなセカイにもう既に在るのだから

かつての言葉や意味づけは
とっとと手放し流して


いま 生れ現れた それ で
ここに在る



ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。