お陰さまで有難し
「お陰さま」って
いい言葉だなぁと思うのです
色んな語源や解釈があると思いますが
わたしの捉え方としては
陰があるから陽がきわだち
陰がなければ陽もない
両方あってこそのもので
両方あっていい
じぶんという宇宙は
陽だけでは成り立たなくて
陰も必ずあり
どちらもあって
じぶん というものが
在ることができる
じぶんという宇宙で
その時々のバランスが
現れてるだけだから
陽を感じてられるのは
陰があるから
お陰さま
「有難い」も
難が有るから 有難い
と書かれるけれど
本来ありえない(難し)
この世の現れとして
まるで有るかのように
あらわれ生きている
そう思わせてもらいながら
生かされている
難《がた》し なものが 有されている
この不可思議さ
そんなものを感じて
やっぱり素敵な言葉だなぁと
感じます
あらゆるすべてが
じぶんという宇宙だと
そんな視点から眺めるとき
じぶん宇宙のなかに
陰があって もちろん陽もあって
どちらか片方だけでは成り立たないから
どちらもあってよくて
どちらもなくちゃだめで
難しいと思えることがあるから
易しいと思えることがあって
どちらもあるからよくて
どちらもあるのが理で
それらすべてで
じぶんという宇宙が
在る
のだけど
この小さな頭の世界で捉えると
陰はあまりよろしくなくて
それがあるから自分はダメだとか
思っちゃってみたりして
難だと呼ばれるものは
出来るだけ避けたくて
それがいい人生だとか
考えてみたりして
そんなこんなが
この小さな頭の「自分」宇宙では
繰り広げられて
それを人の人生だと
日常だと
呼んでみたりしてるのです
この小さな頭の世界 は
思考(思い) の世界です
過去 の世界です
判断(ジャッジ) の世界です
そして
幻想 の世界です
この小さな頭の世界 は
この肉体の中に
自分というものが入っていて
この身体だけが自分で
身体の外側世界(社会)の中で
自分が生きていると
そう思っている世界です
社会(世界)の中にいる
ちっぽけな自分 という
立ち位置です
そしてそれが
殆んどの人の
あたりまえ です
じぶんというものは
この肉体の中に
閉じ込められているものではない
という視点でとらえたとき
世界が拡がります
「これ(身体)が自分だと思ってる」訳ですが
「思ってる」わけであって
「思い」は 思考 です
思考は 実態がなく
湧いては消えていくものです
あれが食べたい これやりたい
と「思ってる」 思考 と
「この身体が自分だ」
と 「思ってる」 思考 と
同じです
思考 にかわりはありません
伝わりますか?
この感覚
じぶんという宇宙のなかで
陽もあり
陰もあり
お陰さま で
「自分が」なにかを為し得ている
と思わせてもらいながら
人生というものを
味わせてもらっている
ありがたさ
それらが
意味もなく
現れ続けている
摩訶不思議さ
美しいセカイです
楽しむしか
ありません