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少し深く呼吸できるようなそんなはじまり

3月に入って何だかキリリとしている
まだ本稼働ではないけれど ゆっくり準備運動を始めるようなそんな感じもあり それに向けてのちょっとだけ締まった空気感のようなもの
先月よりも透明感は増し その分クリアに感じているのかもしれないな



ここ数日あらためて
自然と呼吸を合わせるのは
大切だなーと感じていて
ついつい自力で呼吸していると
勘違いしちゃうけど
呼吸は自然と行われていて
「自分」は何もしていない

その 呼吸 を 自然 と合わせてみる
合わせようと意識してみる

大地と合わせてもいい
風と合わせてもいい
波音と合わせてもいい
植物と合わせてもいい

自然の何かと自分の呼吸を
合わせてみると
ものすごーく楽になる

ああ今までちゃんと呼吸してなかったな
って気が付く
無理のない呼吸を自然が教えてくれる

自然と呼吸を合わせると
自然のエネルギーも入って来る
自然の流れも感じられる

「自分が」にはまってしまったら
その場で立ち止まって
目に映る自然の何かに意識を向けて
呼吸を合わせて戻して貰えばいい
自分は自然の一部なんだと
思い出させてもらえるから
沢山たくさん助けてもらえばいい



さまざまな分解が
進んでいるように感じます

同じものを見せて貰えるとしても
以前のようにすぐその物語に
取り込まれてしまうのではなく
少し引いた位置から
まるでスローモーションになったかのように
それを見せてくれながらも
完全には同化せず俯瞰できる感じで
「自分」というものとの距離を
少しずつ広げてくれるような

自分にがっちり絡まっていたものを
ひとつずつ少しずつ解いてくれているような
そんな優しさも香ってきます

崩す前の分解 とも言えるかもしれません



言葉の束縛 は本当に強くて
しかもそれは誰かにかけられたのではなく
自分で自分にかけているから
尚更気が付きにくいです

誰かにかけられた と思っているそれも
よくよく詰めてみると
自分がかけていたと分かるかもしれません

誰かに言われた
のがキッカケかもしれませんが
今その 自分の中にあるそれ は
多分そのキッカケに自分なりの物語の言葉を
トッピングして抱えています
誰かの言葉 は キッカケに過ぎません

捉えているのは 自分です

そこに自我やエゴが
自分じゃない 私じゃない と
えらく反発するものだから
誰かのせいという事で閉じていただけです

今はそれらにも
ノックされ殻にヒビが入って来ていて
しかも他のあれやこれやと
入り混じっていたりするので
ちょっとしたザワザワが出されます



もう
誰かのせいや何かのせいにするという
時代はシマワレていて
すべては自分です

全部自分で責任を負えとか
全部を背負いこめとかいうのではなく
そういう外向きの視点ではなく

自分を観るためのあらゆるもの
であり ならば
誰かや何かからであっても
自分の内側のナニカです

誰かが居て何かをした
のかもしれませんが
自分を観るための出来事です
自分を知るためのものです



ここは
後になって自我は分かる
という世界です

後になって
あれでよかったんだと
知れる世界です

いま
「自分」が分かっている事なんて
何ひとつないのだから

後になって良かったと知れる
というそれを安心として

誰のせいでも何のせいでもなく
そして
自分のせいにする必要もない
というところに安らげば
それでいいようです

そこからのことは
また
その時の いま が
教えてくれます



蕾がゆるんで春を迎えるように
そんな自然と共にの3月です


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kitoma
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。