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静かだけど大きな変化も

料理の途中食材探しに冷凍庫を開けて 下の方に潜っていたそれを出したら 野菜カスのようなものが沢山落ちていたのがどーにもこーにも気になって
あ これヤバイぞ やる気だぞ と思ったら
やっぱり全部の食材出して冷凍庫掃除を始めちゃった

あーやるのね やっぱり と動く身体に諦めて 途中の料理はいったんやめて動きのままお掃除

いつもだとそのまま冷蔵庫にまで及んだりするけど さすがに途中の料理があったからか 冷凍庫だけまるっと洗って綺麗にしたら落ち着いた

この前も結構夜遅くの時間に台所の床の汚れが気になって そのままその周辺だけお掃除始めたり
普段どかさない場所の裏が気になって いきなりそこだけどかしてやり始めたり



よく分からないけれど突然そういうスイッチが入ることがあって 以前はそれでも「じゃあ今度の休みにまとめてやろう」とか思ってその時はやらなかったりしてたのだけど 今はそういった制止の思考が入る余地なくいきなり身体が動き出すから面白い

その時思考は冷凍庫の時のように
やるの? 今? これから? とあたふたしていて
でも身体はそのままやるんだろうと分かっている風に 途中から諦めモードに入って静かになる

で その思考の反応と身体の動きを観ている感覚が別にあって
「自分」としているこれが思考と身体がバラバラでワチャワチャしているのを眺めているのが可笑しい

どうやら小分けにチョコチョコ掃除をやって 
今年のお掃除終わらせるみたいだなあ
一気にドーンだと疲れちゃうから一日一か所とか その時気になった所をまるっとチョコっとやって
暮近くにはだいたい終わっている感じかな
そんな流れも楽しいかもしれない



本当にあっという間に師走になったけれど
去年の今頃とか今年の初めとか
その頃から今までをざーっと流れで観てみると
きっと何かしらの 大きなものの動き が
あったのではないのかしら

あまりに早すぎて
何があったのか何もなかったのか
分からなくなっているかもしれないけれど

表面的なことだけではない
もっと根本的なこと
受け継がれて来ていたこと
今まで疑いもなくそうなのだと思っていたこと
隠れて見えていなかったこと
自分のチカラではどうにも出来なかったこと
そんな事らが うっすらと動いたりして
何事もなかったかのように今を迎えているけれど
実はかなり変わっていたり
するのではないのかしら

それは 動的なものでの変化だけでなく
静的なものでの変化かもしれないから
今まで見過ごして気付かなかったかもしれない

でも よーくみたら
あれ? こうやって変わっているんじゃない? と
一年前の「自分」としていたものとは違う「自分」を
いま「自分」としているかもしれない



変化は「動」だけではないから
「静」も変化なのだから

今年は特に「静」を使って
表面ではない 外向きではない
内側 中心 そんなものに
自然に変化がもたらされてきたような
そんな気もします

アクティブに動くのが変化 という
固定観念も 思い込みのひとつ だから
動も静も どちらも変化の一面で
ヨシアシなく思考と関係なく
動き 流れているようです

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kitoma
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。