楽し気ポロポロ
バスで後ろの席に座った小学1~2年生位の姉弟らしき子が楽しそうにうきゃきゃと話しほころんでいる
「ハローキティーってさあ ハローが苗字?」と弟くん
「そうじゃない?」とお姉ちゃん
思わず ぶっ!と吹きそうになり声は止めたけど そうきたかあ~その発想が出来る事がすごいなあと思いつつ笑いが収まらず腹筋鍛えられる
街中であちらから歩いて来る男女に
何とも言えない違和感あってジーっと見ていたら ・・・中世ヨーロッパのお貴族様ですか?
というようなお顔と装いで 仮装?と思ったけど どーもそういう感じでもなさそうで 何ならキョロキョロ不審もどきで歩いていて
いやー 来ちゃった人かなあ とか自然に思ってみたり
もうすぐ家だという所で横を追い越したご婦人が ゴッ!と何もない所にけつまづき体制崩されたのだけど タンっ!ともう片方の足で踏ん張り事なきを得 まるで何事もなかったかのように去って行って その姿があまりにも自然で
何だか今日はおもろいもの沢山出会ったな~と笑う
空の雲があまりにも楽しそうで 近所で済ませるつもりが ちょっと遠回りになって
空が開けるごとにじぃーっと眺めていたけれど
やっぱり今日の空は楽しそうで愉快気で
だから街中も 愉しい が沢山だったのかもしれないね
帰りのバスで2つの経路が思い浮かんで 向きが逆だから乗り場が大通り挟んでるのだけど
交差点にかかった瞬間「どっち?」と自分に聞いて 聞いたと同時に出て来た「右」に従って進むと バス停着く頃にバスが発車寸前で乗れて座れて あーこっちだったのかと納得する
そういえば最近この 瞬間きく というのをやっていなかったなーと思い出し 無意識に こっち とか あっち とかやってたけど ちゃんと意図して 聞く というのをまたやってみようかなーと思ってみたり
これは思考挟まないで直感信じる練習みたいなもんで 思考が出る前に現れた答えをそのまんま実行するのだけど 予め その時々が私の最善 という意図をしておいて 電車に乗る時の場所だとか 分かれ道での向かう方向とか すごく簡単な事を都度自分に どっち?どこ? と問うて パッと閃いたものに従う
直感信じる練習にもなるけど 自分の本心とのアクセスし易くもなるから 思考にワチャワチャ邪魔される前に 淡々と現れた答えに従ってどうなるか を繰り返して それが最善だった と後で答え合わせが出来たりすると 自我も次第に大人しくなってくる
そういえば少し前はお遊びのように こんなのずーっとやっていたなぁと思い出し 久しぶりにその感覚楽しもうかなーとなっている
秋分頃の色んな変容が
だいぶ落ち着いて来て
色々観方の変化も感じ出したのかな
街中歩いていても
ちょっとなんか違う
多分目に映っているいるのは同じなんだけど
捉え方が変わったのか
見え方が変わったのか
そこらへん未だよく分からないのだけど
だけど 何か変わってる
そして
自分の気分に連動するものが
捉えやすくなっているということを
気が付きやすくなっている気がする
ああこういう事なのね
っていうのをリアルに解るように
そう変化しているかのような
そんな感じ
そうこうしてるうちに
今月ももう終盤に入り
また 時間がすっ飛んでいる
この時季に桜?と近寄ったら
「十月桜」と札があり
調べたら春と秋から初冬にかけて
二度咲きする桜だそうで
初めて見たからびっくりした
桜は春 というのも
取っ払わなきゃなのかしらん