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まんまの言葉に飛ばされて
わたしの通勤は地下鉄なのだけど、朝の時間帯には珍しく小さな男の子とおかあさんが乗っていた。すぐ横のスペースに立ちいつものように眼をつむる。
男の子の声がする。
「トンネル、ながいねえー」
ああもう!
このひと言だけで今日一日happyだ。眼をつむったままマスクの中の口元がゆるむ。
小さな子供の、そのまんまの言葉に時々わたしはぶっ飛ばされる。一瞬で身体が軽くなる。
そうなんだよなー。
もう、ゴメンナサイと言う感じ。
「地下鉄に乗っている」事を知ってるから、「長いトンネルみたいだ」と表現は出来ても、彼のような言葉は出てこない。
彼の中には「地下鉄」というのがまだなく、知らない。ずっと地下を走る電車だと知っていたら現れない言葉、感覚、音。
彼にとって電車は地上を走るもので、お外が見えて。パッと暗くなるときは、トンネルの中。でも進んでいるとやがてパァーっと明るくなってまたお外が現れる。それが、彼にとっての「電車」。
だからわたしの耳に届いた彼の言葉は、疑いも装いも何もないそのまんまの「トンネル、ながいねえー」。
あまりにも地下を走っている事に慣れすぎてしまって、今の私からは絶対湧いて来ない言葉。音霊。
地下鉄に乗っている ということを知ってしまっているから。
地下鉄は(少なくても私が利用してる区間は)地上に上がらない と知ってしまっているから。
彼が感じた地下鉄の居心地の悪さ。地下鉄という言葉がまだ入ってないからこそ湧いてくる「トンネルを出たら明るくなってお外が見えてもっと楽しくなる」というキモチが現れた言葉。
生まれ育ちが地上電車だけだった私は、引っ越して初めて地下鉄に乗った時の違和感は半端なかった。ものすごい閉塞感。電灯はついていても暗さが続く息苦しさ。眼のやり場がない戸惑い。そして何よりも、乗っている人達がそんな風に感じているとは微塵も思えず、全員が当たり前のように無表情で淡々とそれぞれ何かしている光景。
この人達はロボットなのか?と思ったもんだ。
通勤で地下鉄しか使う術がなく、月日が経つうちにいつの間にかあの閉塞感が当たり前になってしまった感覚。生活に必要なのだから仕方ないじゃないかと言われればそれまでだし、文明のリキである地下鉄を否定するとかそんなのでもなく。
そうではなくて。
初めは感じていた違和感・心地悪さを「必要だから、そういうものだから」という記憶と言葉のすり替えで、間違いなく「いま」も感じているであろうその自分の中の違和感心地悪さを「当たり前」という無意識の感覚の中に沈めてしまっていたこと。
それが、彼のそのまんまの言葉が届いた途端バーンッ!と飛び出してきた。
いっぱい、いっぱいある。こういういつの間にか「仕方がない」「当たり前」というのと共に自分の中に沈めてしまった「本当は感じていた感覚」。あるよなー。
地下鉄に長く乗るのは嫌だった。
無表情に流れていく通勤ラッシュが不気味だった。
当たり前にそれで生活している人達ばかりで、自分は社会に適応できてないのかしらとも思った。
それでも生活の中で乗らねばならず、地下鉄の中で平常でいられる術をいつの間にか身につけた。
そして それが「当たり前」になった。
こうやってヒトは本来ジブンが感じていた気持ちや感覚を何かにすり替えてどこかに置いてきてしまう。そしてそれがあまりにも日常に多すぎて、いつの間にか「本来ジブンが感じている感覚」が何なのか、どれなのかが分からなくなってしまう。
それは今まで繰り返し繋がれてきた生きるための教育がそうだったからであり、誰が悪いということではない。皆そうやって教えられて成長してきたのだから。親も、そのまた親も。
小さなまだ知識を詰め込まれてない子供は、そのまんまを現してくれる。
楽しい時はキラキラした目で楽しいを現し、お腹が空けば何か食べたいと言い、眠くなれば寝る。ごくごく自然な事。
大きくなるにつれ「学校だから」「会社だから」「大人だから」とあれこれ詰め込んだ知識をもとに自分で自分に制限をかけ、本来感じているジブンの感覚をナニカにすり替える。
自分も小さな子供の頃は、ちゃんと感じていたことなのに。
地下鉄乗るのがワルイことではない。
でも、あの閉じられた空間に自分は馴染めないし心地よさは感じていない。その、「心地よさは感じていない」という「感覚」をジブンが持っている、ということは感じていたい。そこは自分の中の違和感のひとつだから。
感じた上で、じゃあどうしたいか になり。なるべく乗らない、もひとつの選択肢だし、今はその空間の中で自分の心地よく居られる方法を見つける、もありだし。
違和感を感じてることを分かっているかいないかは、同じことをやるにしても全く別物となる。
小さな大師はおかあさんと手を繋いで降りていった。周りをキョロキョロ見渡しながら、足もとの靴下からはドラえもんをのぞかせながら。
ほんとにほんとに
ありがとねー。
私にとってはキミが
ドラえもんだったよー。
またねー。
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