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いろんなカケラたちが

静かに 静かに 諦めることなく
ポーンと飛ばされては
じぶんの心の真ん中へ戻ろう とすることを
何回も何回も 見限る事なくやっていると

誰かとの会話のなかで
どこかの風景のなかで
何かとの関りのなかで

規則性のない その一瞬に

本来のじぶん と位置付けているものの
かすかな動きのようなもの に
気付くことが出来るようになる

瞬きのような
感じるか感じないかくらいの
ヒカリのようなもの
そんな気配 そんな香り

思考ともエゴ自我とも違う
そんな 感覚



そこには
エゴ自我世界の言葉を使えば
”無限の可能性” が詰まっていて
そしてそれを 無意識に知っている

オモテノセカイからすれば
その時の問いの
答えの欠片のようなもの

あ という 一瞬のもの



その
小さな小さな欠片たちが
少しずつ集まって
その時の答え に彩りを与えていき

無色透明だったものから
わずかだけれども
うっすらぼんやりとしたなにか へ
うつろっていく

今はそういった事らを通して
じぶん というものへ
目を向けるようにしてくれていて

そこから
本来のじぶん へと繋がるように
様々な角度から 視点から
色々な タイミングで カタチで
ギフトのように現れては
振わせてくれている



目の前の現実というストーリーに
ドップリ浸かっていないと
そういった出来事らの流れが
全てヒカリへと目を向かうための
流れなんだと 知るようになる

相変わらず出来事は起こり
そこに自らのストーリーを付けて
流れては消えて行くけれど
付けてるストーリーとは別に
キラメキのようなものが点滅し
同時にひらかれているものの欠片を
落としてくれる

この変化のスピードの中で
それはとってもゆるやかに感じる
かもしれないけれど
でも 確実に染み込んで行って
明確さ を発芽させてくれる

スピードも関係ないし
ルートもどれがいいとか ない

その時々 合ったものが
ちゃんと現れてくれている

そうじゃないよ
それじゃないよ という
エゴ自我の働きから
距離を置けさえすれば
それはそれで ちゃんと観えてくる



何回飛ばされてもいいし
どれだけ遠くに飛ばされてもいいから

あなたには わたしには
本来の戻るトコロがあって

そこにさへ戻れば
ほっと ひと息つけて

あの 安心 を
思い出せて 感じられる

ということを
どこか片隅に携えておいて

またそこから
飛ばされちゃえばいい

一度 知った その安心 が
またそれを 思い出させてくれて

呼び戻すかのように
真ん中のあったかさを
示してくれるから



そうやって いまは
わたしのなかの安心 の
スペースを
どんどんひろげていっている

戻るのは
まんなか だけ






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kitoma
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。