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隠されようのないもの

視点視座の転換が穏やかに
でもハイスピードで行われているけれど

そのひとつとして
今まで 知った 事の答え合わせや
点と点の結び直しや理解への変換
みたいなものが次から次へと訪れて

そこから
観れる角度がいきなり変わったり
知識として 知っていた 事らが
ぎゅんと理解に変わって深まったり

目の前にあった薄いベールが取っ払われて
鮮やかさが増したみたいな
そんなものが出てきてみたり



それらが現れるツールとして
過去のあれこれが拾い出されて
目の前にポーンと置かれたりするから
一瞬何事かと思っちゃうけれど

揺り戻しとか言うよりも
ほら 今まではこう観えてたでしょ
でもこんな感じでも観れるでしょ
と言う風に
何かをトリガーにしてだけど
新たな角度が示されたりする

その角度が示されることによって
その時のまた別物の思い込みらが観えてきて
あら こんな風にも絡まってたのね と
またお掃除することが出来ちゃったり

そして
視点視座が変わるほど 増えるほど
多角的に観れるようになるから
小さな穴からしか観れなかったものが
どんどん視野が広くなって
何か起っても その分ラクに対峙出来る

視野が広がるにつれ
「私」というものに対しても
掴み所が緩くなっていって
やがてその境界が曖昧になっていく

その頃には
入ってくる情報も
境界を壊すものが増えてくるから

さて「私とは?」と
導かれるように示されていく

もう最近は
オブラートに包まずに言葉が出されてたり
前後繋がりなくいきなりドーンと
出されてたりするのも見かけるから
あら 追い込みかしらと
笑っちゃったりする



それだけ
隠さずにも理解できる人が増えたのか
そうしても混乱が少なくなったのか
そこら辺はよく分からないけれど

ただ
理解とか言う以前に
こういったものに合わない人は
この部分に関しては
どんどん隔たりがハッキリしてきて
いわゆる別世界の住人となっているなと
感じざるをえないほど
見せられたりしてるから
まあ そういうことなんだろうなーと



分かる分からないとか
信じる信じないとか
正しい正しくないとか
そういったことでもなくて
そこら辺はどーでもよくて

その判断(ジャッジ)じたいが
そもそも要らんよねーって

それを知ってたからエライ訳でもないし
それを理解したからスゴイ訳でもなく
そこに興味があるから崇高な訳なんて
あるはずない

あたかもそれが
スバラシイかのように言って
スバラシイかのように振る舞うけど

スバラシサは
もう至るところにあって

ステキさは
数えきれないくらいで



それらをあらしめているのが
不可思議さ


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kitoma
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