この瞬間にひらききる
急速に 本当に急速に
変わり始めている
これが 人の数だけ
それぞれのタイミングに合った
ベストな形で訪れていて
その 人の数だけ
織りなされているタペストリー
見ることができたならば
どれだけ綺麗なんだろう
あらゆる物事が
完璧なタイミング
完璧なシチュエーション
完璧なストーリー
で起きているというのを
まざまざと感じさせられる時
この自我というものは
自然とおとなしくなるようです
圧巻的な なにか
自分 という範囲を超えたもの
いま 起きているあれやこれやは
その 見えないナニカ
捉えられないナニカ を
さまざまなルートやカタチで感じさせ
自我に入り込ませる隙をなくし
自然なかたちでフェードアウトさせていく
もしくは
切り替えさせていく
そんな気配すら感じさせてくれます
これは
どこまで
自分 が じぶん に
開いているか で
願わずとも訪れるのかも
しれません
日常に埋没してたり
外側に走り回っているときは
見逃してしまう ナニカ
見つけることはできない ナニカ
けれども いまは
じぶん に向き合ったぶんだけ
じぶん を開いたぶんだけ
ちゃーんと感じられるように
変わってきているようです
大変な修行なんかしなくても
わざわざどこか出かけなくても
ながーい間待たなくても
自分 が じぶん に
どこまで真剣が
本気か 腹くくってるか
だけ
みたいです
それは つまりは
どこまで意識をそこに注ぐか
で
いま が 展開されていきます
この瞬間 に
どこまでじぶんを
ひらいているか
瞬間 なんです
時間は
つながってないから
瞬間 で
いいんです
でも
その瞬間にじぶんを100%ひらく
ってことが
出来なくなっちゃってるのが
今のほとんどのニンゲンなので
思い出しましょーと
あちらこちらから
声があがっています
じぶん というものが深まって来て
自分がおとなしくなってくると
現象がスローに見えるというのが
あるようです
まあ正確にはスローになっているのではなくて
そう感じてる なのでしょうが
例えば
飛んでる鳥たちが以前よりも
ゆっくり飛んでいるように見える
とか
何ていうか
駆け抜けていたものが
味わう時間がその中に出来てくる
というか
そんな状態にあるとき
外側ではなく 自分というものも
スローに観察できるようになります
そうすると
外側に対してあれこれやった事について
それが エゴからなのか 本心からか も
チガイを感じるスキマみたいなものが
生まれてきて
あ 今のは外側の都合を良くするためにやったな
とか 瞬時に感じるわけです
それがいいとかよくないとかではなくて
それが観えるようになると
次は行動起こす前にそのセンサーが働くので
ん?と感じて
一旦立ち留まったりできるんです
で 自分をチェックして
本心から外れてるようなら
じゃあどうしたいか? に
流れていくようになります
そうやって少しずつ
無意識レベルでやっている
身体のクセからくる外向き行動や
思いクセの習慣変えが
こっそりひっそり
行われているようです
意識して
どーにかしよーと頑張らなくても
いいと思うんです
頑張っちゃってもいいですけど
意識してようがしてまいが
そうなってる ようなので
意識して
”自分の達成感” を強めるのもいいですが
意識してなくて
ナチュラルに変わっていってるのも
それはそれでステキな事です
この瞬間 に
どれだけ いま に
いられるか
それだけ
みたいです