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そして ありがとう

今年も桜に逢いに行ってきた。
去年は約束を果たしに。今年は特に約束はしてなかったけれど、今しかみれないあの優美な姿を観たくて。

去年行った時の記事はこちら


とーっても物凄い人で。
そう言えば去年はまだ外国の方の受け入れがなされてなかった頃だった。今年は半分以上が海外の外国の方ではないのかしらん。国も多種多様みたいにうかがえる。


そっか、これがそれまでの姿だったのか。去年は人はそれなりに多かったのだけど、日本人だけだったからか、記憶にある雰囲気がちょっと違う。コロさん始まる以前にこの繁忙期に御苑に来ることはなかったから、それまでの姿は知らない。



人出はすごいのだけど、なんたって広いから密集という感じにはならない。もちろん人気者の桜の周りには沢山人が集まっているけれど。それでも人の流れの少ない所を選んで歩き(笑)あの桜へ。



艶やかに咲いている様々な桜たち。
「こんにちわ~」「咲きましたねー」と声を掛けながらひとつひとつ眺めてはその美しさに ほぉ~ っとなり、もうすぐあの樹が見えてくる。



今日はさすがにあのベンチは空いてないよねーと目で探すと、やっぱり人影が。
そうだよね、じゃあ桜の近くでお話ししよう。
と、歩みを進めてもう桜に手が届く距離まで来て
顔を上げると


空いてるんだ、これが。
数十秒前まで誰か座っていたのに。

あ~~ となり、ありがとねーとベンチに座る。
いつも、必ず空けてくれるこの場所。この景色。


青空ではないけれど
桜たちは十分映えて美しくて。

早咲き桜は大地をピンクにしていて

これから開く桜たちは蕾がプクプク膨らんでいて


そしてあの桜は満開をちょっとだけ過ぎて、悠々と枝を広げていた。



ただただボーっと眺めてるだけ。
なんにもいらない。




風が吹いて順番に枝が揺れて
桜同士が会話するかのように
穏やかな軽やかなオトが響く



ここに座ってこうやって眺めていると
どーしてもこみ上げてくるものがあって

「全然変わらんよー」と声かけても
桜からは返ってこない

ひとしきりの感情が去ったあと

目の前にあの桜は見えているのだけど
それとは別に
わたしの真ん中に 同じものが現れている

目で見ているけど 真ん中でも感じてる
そんな感覚が訪れる

目の前の桜は確かにあって美しくって
でも 映像 に近くなっている
見えてるもの という感じ



ああそうか

あの桜樹は私のなかにあって
わたし だった

また どっぷりつかってたね
かつてのストーリーに



わたしはずっと
誰に 何に 語りかけて来たんだろう?
何を観て感じて
この感情を放ってきたんだろう?
癒してもらってきたんだろう?



一年前の桜記事探して改めて読んでみたら
ちゃんと書いてあるじゃない

ちゃんと桜からの言葉
書いてあるじゃない

だけどあのベンチ座った時は
すっかり忘れ去っていて
いっときまた過去の かつて が
私の中を流れて行ってた

そして途中で感覚が変わり
いま 目の前の桜樹が
私の中で生き輝いていた



いつからこの桜の所へ来ていたか
もう覚えていないけど
多分数十年単位の話で
その頃の何がという特定的なものは
もう覚えていないし
特定的な何かがあったわけでは
なかったのかもしれない

だけど

今回行ったことで
その何かのワンサイクルが
シマワレタみたいね

そしてそれは たぶん
私個人だけの事ではないのだろう
だからこんなに時間をかけて
ゆっくりこなして来たのだろう

細胞レベル DNAレベルのお話



今年もとても美しかった桜たち

来年この時期に行くかは分からないけど
でもやっぱり 
この一瞬 を 直接感じたくて
逢いに行っちゃうかもしれない

冬の あの
ギューッとした姿を見てるから
この すべてを放つ ヨロコビを
そのパワーを尚更感じられて
ありがたい


両方がなくては
成り立たない世界

両方あるから
美しいセカイ


しきの世界は
やっぱり美しい

この美しさが感じられている奇跡
摩訶不思議さ



そして
どうもありがとう

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kitoma
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