見出し画像

がんばらなくてもいいもの

東京はここ数日猛暑と呼ばれる日になっていて、さすがに35度超えとなるとキケンを感じるのでクーラーを入れている。
電気代がぁ~と頭のどこかで騒いでいるけれども、それも生きているからの話であって、クーラー入れなかったが為に「電気代がぁ~」と言えない状況になってしまっては元も子もないので。
そう考えると、この夏お高い電気代を払うことになったとしても、「生きてるからこれ払えるんだなぁー」とか思えるのかもしれない。

にしてもやっぱり暑いので、気温37℃ 体感温度39度 とかなっているのを見て、「いや~平熱より高い温度だし、39度って風邪の高熱フラフラと同じ状態だもんなー すごいなぁ」とか思ったりしてる。

もともとクーラーがあまり得意ではない体質のようなので、風さえ吹いていてくれれば、窓開けて風通して扇風機である程度なんとかなってしまう。
けれどさすがに高温が数日続くと建物も風もみんな温度が下がらないから、無理はせんで必要な時はクーラー入れて。



新月の朝、あーまた何か変わったんだ と思い。
朝の空気と空と。なんだか賑やかさんだったなあ。

ずーっと天体とか気にしてる訳ではないのだけれど、空気感が分かりやすく変わったなーとか感じる時は新月満月とか天体の動きと連動している時が多いから、ああそうなのかなとなっていて、自然のサイクルってすごいなーとつくづく感じる。


ここ最近は
例えば自分の望みがあって
それがあーだこーだと考えずに
そうしたい となったとき

びっくりするくらい早く
それが展開していく

別に大きな事でなくて
日常の些細な事
たとえば誰かに会いたいな とか
でも急だから相手の都合もあるしなとか
思って連絡してみると
翌日会うことになったりして

その小さな些細なことに
どれだけアレコレ思考を挟まず
自分の本心からの声をひろって
すぐ実行できるか

それの繰り返し

いつも 目の前に
その時現れて来た出来事に
まっ直ぐに向かい合う

心地よさから選べてるか
好きだからで選べてるか
外向き理由でやろうとしてないか
本心を横に置いてしまってないか

そんなことを気を付けながら




もしちょっと思ってたのと違う返しが来たら
そうなのか で
そちらへ動けるように

思ってたのと違う のは
自分が予想や期待してた事と違う
からで 自分の範囲の答え だから
その範囲外が示されたのであれば
きっとその時はそれがベストなのだろうから

違和感や拒否反応が
自分の中にないのであれば
そうなのか そうなのかも という
新しい扉の可能性



先日久しぶりに会う人との機会があり
会えるのが短い時間だったから
あれやこれやと楽しく時間を過ごせるよう
色々思索して疲れちゃったりして
実際会ってみたら
ぜーんぶその時一番いい方法になって
そして無理だろうなあと外してあった事が
私の手を介さずとも
そうなってしまっていた

楽しみにしすぎて
どうしたら が爆走してしまったけれど
あれこれ手段(どうしたら)を考えなくても
どうしたい が整っていれば
そしてそれが本心に沿っているのであれば
ちゃんと思いもよらない方法で
叶うもんだと改めて体感して
あははとなってみたり

そうやって
何度も何度も今までのやり方に
引き戻されて
いや大丈夫 を確認してまた戻って
そんなのを繰り返して
揺られる振り幅が段々小さくなって
落ち着いていく



言葉というものを使って
誰かの気を軽くしてあげることは
多分出来るのだけれど
今は何だかそれではない気がする

その
言葉を使うことによって
自分が というものが強くなるから

自分 を納得させるためにはいいけれど
そーすると いつまでも
そこから出てくることが出来ない

自分が いるでしょ
自分が 頑張ってるでしょ
自分が 成しえてるでしょ
自分が いるから大丈夫でしょ



自分が が頑張ってると
感じられないもの

そこへの
いざない

いいなと思ったら応援しよう!

kitoma
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。