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いま な月曜日
お布団干してフと下の道路を見ると、ゴミ回収時間待ちであろう収集車が目の前に停まっていて、運転席に座っている作業服のお兄ちゃんが、車のハンドルを相手にリズミカルにバチをたたいていた。
上からだから顔の様子は伺い知れないけれど、その手とバチの動きがとてもとても楽しそうで。
まさかゴミ収集車の中のわずかな待ち時間で、そんな楽し気な事をしてるなんて!
バチは何かの代用ではなくバチだったから、持っていたということで。
あー、好きなんだろうなぁ。練習してるんだろうなぁ。
時おり隣に座っているらしき人の方向きながら、タ・タン・タンとバチは軽やかに動き、身体が楽しそうにしてる。
「好き」「楽しい」がピョコピョコ跳ねていて、"ゴミ収集車"という私の概念を瞬間で変えてくれた。
いつもスピーディーかつ丁寧に我が家のお役目おわりの物たちを回収してくれてありがたきと共に、その車の中は楽しい空間!
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そのまま道行く人々を何気なく眺めていると。
信号待ちの小学生くらいの子とおばあさんらしき人は、手を繋ぎながら楽しそうに話してる。
おばあさんは、その子の帽子を直してあげたりしながら。
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道幅狭くなっている所で自転車の人が止まり、前から来た男性を通してあげる。
男性はピョコリと軽く会釈して先に通り、そして自転車は何事もなかったかのようにゆっくりと走り出す。
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向かいのマンションでは制服を着たお掃除の人が丁寧に付近を掃いている。
その脇を、建物から出てきた人が挨拶しながら通っていく。
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小さな女の子が、自分より大きい段ボールを両手で抱え歩き、その横を若きお父さんらしき人が寄り添っている。
いつでも手を差しのべられるようにしながら。
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ほんの1~2分、眺めていた風景。
布団を干してたまたま眼にうつった景色。
それなのに、街のあちらこちらに愛が溢れてる。優しさが動いてる。
何気ない単なる日常のひとコマ。
あたりまえの流れている街中。
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今朝は何とも言えないモヤ感と「やらなきゃ」という思いが目覚めと共に湧いてきて。
やらなきゃいけないことはやらなきゃだけど、けれどそれが何かのオソレから来るものであれば、今の私には合っていない行動で、わたしも今までの無意識でそれを行動にはしたくない。
「やらなきゃ」いけない事なんて、本当はなにもない。だからジーっと聞いてみる。何で「やらなきゃ」なんなのか。
「そうしとけば安心だよ」とか「そうしなきゃこうなるでしょ」とかポンポン出てくるそれらを「そーだよねー。普通はそう思うよねぇ。」とか言いながら眺めてる。
それが今までの”常識”ってもんだもんねぇ。とか思いながら。
どーやら朝イチの「やらなきゃ」はオソレから来たらしい。
やった方がいいかもなのは分かっているけど「それは、いま、やらなきゃな事?」「それは、今日、どうしてもやらなきゃな事?」とジブンに確認する。
すると、今じゃなくても、明日でもその後でもと湧いてくる。
そーなんだ。「やらなきゃ」は何がなんでもその時やらなきゃいけない事じゃないんだよねー。
そしてその隠れていた「オソレ」の方へ眼を向けて。「そーだね、そう思っていたね」と確認する。その「オソレ」は、やらなきゃと思っていた事とは全く違うこと。でもそこから「やらなきゃ」へ繋がっている。
「やらなきゃいけない事」なんて、ない。
だって「やりたい事」は、そう感じたかどうかの時には何の迷いもなく身体が既に動いているもの。
だからちょっとのモヤ感は、今までの無意識行動パターンを見つけるいいチャンス。
ちょっとだけ立ち止まり、ジブンの中に聴いてみる。エゴなのか本心なのか聴いてみる。
朝のコーヒー飲みながらそんなことやって確認して。
そっかー、オソレからだったかぁとなって布団干したら、収集車お兄ちゃんの愉快な姿。
そしてその周りも優しさがいっぱいなのを観せてくれて。
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ちょっとだけ顔をあげれば。
ちょっとだけ視点を変えれば。
ちょっとだけ立ち留まってみれば。
そこには
優しさや愛があふれてる。
頭の中だけでは、思考の世界では見えないもの。
起きてる出来事は変わらなくても、感じられ方が変わってくる。捉え方が変わってくる。
その小さな小さな変化が、次のトキへ繋がっている。
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いま 変えた小さな変化が
さっき 考えてた世界から繋がる世界と
違う世界へジャンプする
それはジブンのセカイが
変わったということ
変えられるということ
そして
変えられるのは
じぶんでしかないということ
日常は あたりまえ なのではなく
常にじぶんが創り出しているということ
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買ってきた切り花が元気なくなっていて、茎の切り口をチョンと切って水を変えたら、次見た時にはもうピン!と元気になっていた。
あんなにしんなりしていたのに、もう「生き生き」があふれてる。
それを見て、わたしも元気を貰ってる。
すごいのねー、と感じる。
いのちのパワーは、すごいのね。
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そして
今日も空は青いんだ
まるで
いつもの週始まりのように思うけれど
いま の空は ハジメマシテで
いま のわたしも ハジメマシテ
週始まり という 名前を取っ払って
月曜 という 名前を取っ払って
午前や午後 という 名前を取っ払って
いま だけにココロを合わせるとき
その合わせたココロのままで
いま を観るとき
いま を感じるとき
さっき はもうなくなり
この後 もどこかへ消え去り
目の前が
静かな中に 輝いてくる
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さあ
また新しい いま が
やってきた
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