解け溶けて融ける
お陽さまが出てるというだけで
どうしてこうヨロコビが溢れてしまうのだろう。
初詣はゆっくり散策出来なかったからと、いそいそと神社へ。
何故だか学生さんが沢山いて。しかも制服違うからふたつかしらん。あまりこの神社で地元以外の学生さんは見かけないのでちょっとビックリ。
陽の当たらない側の屋根にはまだ雪が残っていて、いつもの神社の普段はあまり見られない景色にウキャキャと心躍り
パリパリ割れた氷もとても綺麗で
あらら固まっちゃったねーと思いつつ
その様も綺麗だなあと歓び
ぬくぬくの場所でじっと動かない方の横で
同じようにぬくぬくしてみる
葉を落とした枝が思い思いの形で現れているのがこれまた美しく
イマしか観れない風景に
ふぅ~っとため息をつきながら
空もどうにもこうにも美しく
ただただすごいなあーと感じる
葉はキラッキラに輝いて
光と影とのコントラストに
なぜそうも生き生きに?
と 尋ねたくなる
普通に通り過ぎれば
ただの景色だけれども
歩みをゆるめると
自然が語りかけてくる
ありのままの美しさを
言葉なくして
語ってくれる
イマに意識を向けて
イマ見えるもの
イマ聞こえるもの
イマ香るもの
それらを
イマこの瞬間しか現れないそれらを
その瞬間存分に味わって
味わってる事すら忘れて
どぷんととけこむと
その瞬間
「自分」は見当たらない
「自分が見ている」
「自分が味わっている」
という思いが
ないとき
「自分」は
どこかに消え失せ
言葉でしか
「自分」を表せない
実体のない
「自分」
樹に触れさせてもらうと
去年暮れ近くまで感じられたパーツ的なエネルギーの特色は感じられない
あれ?と思ったけれど
違うんだ
もう隔たりがなくなってるんだ
ぜんぶ になっているから
部分 は感じられなくなる
全体 が
もうそんな流れに
変化してるみたい
春の気配は
もう息吹き始めていて
まだまだ風は冷たいけれど
ゆっくりと
また季節が移り変わっていく
たぶん誰一人として
この太陽の光をどうこうしようとは思わない
自然だから
どうこう出来るものではないと
知っているから
太陽の存在そのものを
その 在る 状態で
そのままでいいと
知っている
ニンゲンも
おんなじ
「自分」が不在のとき
ニンゲンも おんなじ
だから
知っても知らずとも
その 在る 状態で
そのままで いい
ダメだと思うなら
何が「ダメだ」と思っているのか
観ればいい
その「ダメだ」という思いが
イマ起きているという
イマ という 現れ
まだ春はちょっと先だけど
自然の流れで
ゆったりゆったり
ゆるんでくる
陽があたれば
氷は水となり
またちがう現れとなり
巡りめぐっているようで
めぐっていない
その イマ を
愉しむ