言葉ではないもの
人と会って話して
何か共振的なものを感じたとき
言葉や文字というものは
つくづく指し示すものなんだなあと感じます
どれだけ言葉を語ろうとも文字で表そうとも
その「場」でしか感じ取ることのできない
ナニカ があり
それはもう
言葉は要らんのです
解釈の差異を確認するために
言葉を用いるくらいで
あとは お互いが「ひらいて」いれば
もうそれで 何かしよう としなくても
勝手にそれは起きるみたいです
逆に
何かしよう とすればするほど
遠のくのかもしれません
たぶん それには先ず
自分に対する嘘 をなくすのが必要で
自分で自分を誤魔化しているときは
自分自身がどこかへ行ってしまってますから
誰かと共振はありえないし
したとしても それはエゴの働きです
それぞれ違うセカイですから
「分かり合える」というのは無いかなと思いますが
共振し合う 共鳴しあう というのを経て
近いけれど異なるものは
感じ得るのではないかなと
それはもちろん お互いを認める事でもあり
どちらかに優劣をつけるものでもありません
そうなると
「あの人に分かってもらえない」
とかいうものはなくなり
「それぞれ共振できる(周波数の)範囲が
なくなった(もしくは狭まった)んだな」
でおわってしまいます
分かってもらえなくてもしょうがないやね
だって周波数違うんだもん です
どちらかを馬鹿にするわけでも
卑下するわけでもなく 単に
「あ 今はズレちゃってるんだね お互い」で
済んでしまえば どれだけラクなんでしょ
たまたま今そういう状態 なだけ
でも次は違うかもしれない し
同じかもしれない
それは 分からない
全部がぜんぶ
分からない世界
分かり得ない世界
だからこそ
楽しめているのかもしれません
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