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ひらくのはそのあたたかさ
気温が上がったり下がったりしているけれど
冷たい雨日和となっても
そこにも春の気配はあって
真冬のその冷たさとはちょっと違ってきている
どーんと春に切り替わる前の
細かな調整や隅々までの見渡しのようなものが
行われているそんな感じもして
ホコリが出されれば強風で飛ばしてくれ
固くしまった地面をゆるめる雨も降ってくれる
小さな小さな変化の繰り返しで
植物たちも春の訪れに姿を変えていく
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自分をひらくというのは
何が起こるか分からなくて
こわく感じるかもしれないけれど
ひらいていて大丈夫なんだ というのを
一度経験すると
その 何が起こるか分からなさ が
逆に安心に繋がったりします
自分をひらいていない というのは
自分をコントロールしておこう と
しているのと同じことで
そこには緊張があり平安ではありません
そして
自分がひらいていないのだから
相手もひらいた状態ではないです
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何が起こるか分からない というコワサは
つまりは
コントロール出来ていないと不安だと
今までのやりかた習慣からそう感じています
が
そこにはそもそも
自分がコントロール出来ている という
思い込みから始まっています
よーくよーく今までを観てみれば
コントロール出来ていた物事なんて
何ひとつありゃーせんのですが
「自分がやった」「自分で成し遂げた」という
自我さん満足スキルのひとつだったと
そう気が付くことができれば
その思い込みも段々緩んできます
そしてこれは
自分でちゃんと確かめてみれば
明らかに分かることです
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何が起きるかは分からないけれど
どうも何とかはなるらしい となった時
自分というものを構える必要もなくなってきます
装備強化する必要もなくなってきます
自分をひらいた状態だと
自分が傷つくかもしれない というのも
出てくるかもしれませんが
これはとてもキツイ言い方をすれば
自分が傷つくかどうかは
自分が決めることです
周りからのそれらを受け取るかどうかは
自分が決めることです
そしてそれも
自分をOPENにしたら傷つく という
今までの経験からのインプットから来ています
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全部がぜんぶ自分をひらいている
と言うのではなく
あるいっときだけ この場面だけ とか
限定的でも自分をひらいていくことで
あ 大丈夫なんだ 大丈夫かもしれない
というわずかな安心感を感じられれば
そこからまた広がっていきます
これが私なんだから全部を受け入れて
というような圧するものではなく
相手に受け入れてもらうためのものではなく
じぶんの安心感を
ひらいていくものです
何かや誰かにひらいているように見えますが
自分が自分のために
自分にひらいているものです
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少しずつ
あちらこちらで
あ 大丈夫なんだ が
ひろがっていくようです
すてきなさざ波です
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