思いクセと身体のリンク piece_vol.66
新宿~下北沢のお出掛けは結構なダメージ食らったらしく、復活できないでいた。
お風呂入ったりエネルギーワークしたり思いつくもの全部やったのだけど、ハート辺りの広がりがない。食べて寝ることで身体の体力的には戻ったのだけど。
うーむ、どうしたもんだかと思っていたら、朝家を出たらコエが飛んでくる。
「何をそんなに守ろうとしてるんだね」
む? 守ろうとしてる?・・守ろうと?
覚えがない。。いま守らなきゃいけないもんなんて、ない。 守ろうとしてる?
「守る必要なんてないのだよ」
「初めから守られてるのだから」
だーかーら、守ろうとしてるもんなんてないんだってばー! と半ば逆ギレ気味になりつつも、歩きながら深呼吸してジブンの中心に向かう。
守ろうとしてる? 何を? ・・・。
あーあ、そうか。昨日の一件で、アタシは何かから攻撃されてるように感じてたのか。私とは関係ない多種多様のエネルギー浴びちゃって、身体感覚も元になかなか戻らなくて。このまま中心軸からズレた状態が長く続いたらどうしようとか、またイチからやり直しかとか。そー言えばそんなこと考えてたなぁ。
"安心状態のジブン"をKeepしようと、守ろうとしてたなあ。。 ほんでもってそれって、、Keepしようとする事じゃないよね? Keepしようとしてるってことは、Keep出来てない状態はダメだって思ってるって事だよねぇ。。
うぬぬ。そうであったか。「無い」からの視方してるぞーってことね。自分の中に常時安らぎが「無い」と思ってるから、体感覚で得た「安心感」をKeepさせなきゃと思って、それが脅かされたように感じたから、守ろうとしてたんね。・・・ふぅ~。
またコエが飛んでくる。
「いま、見えているもの。それらは、あなたを攻撃しようとしてるかね?」
「その"目"に映っているものは、あなたに何か向かって来てるかね?」
あー、"視覚" で観ろといってるのね。。
「その"目"に映っているものは何かね? 単に様々な色と、色のグラデーション、コントラストじゃないのかね?」
「その、色のグラデーションが、あなたに何かしてくるかね?」
・・もう、ぐうの音も出ない。
"視覚だけ"に意識を向けて観てみる。
人の形をしてる(と思っている)ものや、建物(と思っているもの)や、その他色んなものが動いてる。それらから「名前」と「意味付けてるもの」を外して観ると、単に色が動いているにすぎない。そして、その中には「自分」もいる。
ふぅーとため息。
追い討ちかけるようにまた飛んでくる。
「無意識に紐付けてるものを、ほどきなさい。気が付きなさい。それは、無数にある。」
その頃にはもう職場に着いていて。"視覚だけ"に意識を向けて観てみるのはずっと続けてた。業務の準備が整い、ひと息つく水を飲む頃にはハートの広がりが元に戻った。ふぅ。
見たもの聞こえたものに、瞬時に言葉や記憶・感覚らが紐付けされる。もちろん匂いや味覚、五感通して感じる全て。それらが体感通して「嫌なもの」「怖いもの」「心地わるいもの」とインプットされ、更に過去の記憶とかとリンクされて思考と複雑に絡まって「自分が思ってる、感じてるもの」としてまた記憶の1つとなる。もちろん良いことも、だけど。
今回の私のように「何か守りたい」「得たものを手放したくない」とか無意識に思っていると、それに気づくまでこの思考や感情との紐付けがほどきにくい。そーすると、思考ぐるぐるにハマリやすいし、抜けにくい。その間は身体の緊張も緩みにくい。"安心"からはちょっと離れてしまう。因みに今回はずっと頭痛が取れなかった。
はぅ~って感じなのねん。いっくら"頭"で理解してても「分かっちゃいるけど」になっちゃう。ちまちまコツコツ要らんものに気付いていくしかない。
それでも、その「感覚」が定着してきて、ジブンの中の安心感の場があると、どんどん気づき易くはなる。体感も変わってくる。「身体がゆるむ」というのが頭じゃなくて解ってくる。
「思いクセ」で、ハートの広がりも変わるんだなぁ。びっくらこいた。こう、薄い壁のようなものが広がりを止めているような感じだった。だからココロもどこか窮屈感と不安感があって。ああなるんだなぁ。
やたらハートの広がり感を知っちゃってるもんだから、尚更その閉塞感が息苦しく感じて。なるほどねー。ガチガチの鉄球ハートの時には想像もしなかった事だわな。
で、しかもそのハートの広がり感をKeepしようと、持ち歩こうとしてた、と。
それが 安心 だと思ってたから。
いや、実際安心だし心地いいし穏やかだし、そこに"在りたい"と思うのだけど。
でも、それって逆なんだよね。「そうじゃない」って思うからそうなるんだよね。
ガイド達は「いや、あなた、元から安心真っ只中ですから。それしかないですから。そろそろ視点変えません?」と言ってるんだよねー。
つい最近から気づいた感覚。まだ言語化出来ないやつ。先にギャップ体感させられたなあ。
私はこの身体通して体感したものしか言語化出来ない。言葉にエネルギーを乗せられない。だけど今回の視点変革やらの経緯は、知識で先に得られないものだから、まあ体感しつつ言葉にしていくしかないやーね。何が出てくる事やら。私にもワカラン。
そしていま"全体"として変わって来てるのが、言葉(知識)があって→体感や感覚 から、感覚で受け取って→言葉などで現す。そこに視点の変換も加わる。
何が出てくるのかワカラナイからこそ
現れてきたときの
楽しさ愉快さが
これまた楽しみだーね。
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