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天の采配 自我の采配
図書館にリクエストしていた本を読み終えた
その本は住んでる区には無くて越境で来てくれたのだけど リクエストしてからかれこれ1年ちょっとかかったのかな
読み終えて改めてすごいなあと思うのは 多分この本が1年前にリクエストしてすぐ手元に届いていたら 理解出来てなかった
文字面だけ追って読んだことに満足して知った気になってただろう
この本に書かれていた事にリンクして ああそうか となり始めたのはここ2~3ヶ月の事だから 今だからこそ読んで分かるものであったみたい
こういう天の采配みたいなものは いつも完璧なんだよな~と感心する
ちゃーんとその人に合ったタイミングで流れている
そして そういうもんなんだよ と
こうやって色んな形で見えない世界の完璧さを教えてくれる
小さな脳みそでどーこー出来るわけがない
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私の自我は こういった もうお手上げのような完璧さ を見せられるたびに小さくなっていく
すぐに どうだ自分で出来るだろうと鼻高々になるソレは 己の小ささを感じてしぼんでいく
それを繰り返して行くうちに その気配がすると すぅーっと引くようになっていく
少しずつ どう足掻いても敵わない と分っていくかのように
自然の摂理の完璧さ 見えないものの完璧さ 森羅万象の完璧さ
本来あるそれらの 完璧さ は
いつも教えてくれていて 囁いてくれていて
気長にニンゲンが気付くのを待ってくれている
頭で考える世界と
そうでない世界があるんだよ と
それぞれの姿かたちで現し示してくれている
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日常に埋没していると
自分でどうにかできるんじゃないか と
あれやこれやをやってみたりしてしまう
それが加速すると
自分がやらなねば となり
そこで達成できた時に得る僅かな満足感が
ご褒美かのように置かれ
そのご褒美が欲しくてまた やらねば になる
何かを成し得た時に得られる達成感のようなもの 満足感でもいいのだけど
それらはその瞬間だけで消えて行く
肉体に付随する満足感
と言ってもいいかもしれない
今までの時代はそれを求めて
それが中心で回っていたのだけど
もう変わっちゃったから
どこかで何かのタイミングで
何かがおかしい と感じるようになる
それは 見えない世界からの
まもってくれているナニカからの
扉をたたくメッセージみたいなもの
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何かに気付いたとか 悟ったとか
みえるとか きこえるとか
それが特別かのようにも思えるけれど
生れ出ている人全員に それはもれなくあって
その開花の仕方は人の数だけあるから違うし
タイミングもその人に合ったときとなるけれど
生きてるものすべてのものが
向かう先は同じだから
今それらを生業としている人たちは
少し先にそれらを見せてくれるお役目であって
その人にしかない特別性ではない
そんな差別は かみさまは 源は しない
別視点から言えば
これからそういった開花する人が増えてくるのだけど
それらも何ら特別な事ではなく
未開拓だった器官が開けただけのことだから
自分を驕る必要も貶める必要もない
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誰かを特別視していると
そうなった時に自分も特別視するから
その時は 思いっきりエゴの渦に巻き込まれちゃう
まるで何か特別なものを授かったかのような
そんな思いに纏わりつかれるかもしれないけれど
特別でも何でもなくて
たまたまそのタイミングでそうなっただけ
もっと言えば
その人が特別 なのではなくて
特別でありたい という元にあったものに連動して
特別になった という”思い”が湧いているだけ
その”思い”は 今日何食べよう というのと一緒
特別でありたい というのも
自我のひとつのハタラキだから
誰でも持っている(もしくは持っていた)し
それがあるからこそ 自分 というものが
成り立っているとも言えるから
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速やかに 静かに 少しずつ
自我から離れて 距離置いて
自分が特別ではないけれど
すべてが特別になるかもしれない
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