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感覚もどんどん変わる

今年初めての新米をいただいた。
玄米をほうじ茶で炊いて。

新米パワーってすごいのね。今まで気にしてなかったからか、感じなかった。
お米の銘柄は変えてないから同じものなのだけど、モグモグすると明らかに違う。

これ、おかずいらないや。すった黒胡麻とお塩だけでいい。
量もいつも程は要らない。

ふーん、こんなに違うもんなのかぁーとしみじみ思いつつ、美味しさにひたりながらありがたくいただきました。
お米を作って下さってる皆さん、どうもありがとうー。



新米でのわたしではないけれど、結構感覚が澄んできて、今まで感じなかったものも「あれ?」ってなったりしてきてる人、多いんじゃないかしら。

たぶん緩やかな変化だから、突然に困るということはないと思うのですが、今まで感じなかったものも感じられるというのは、まー両面あり。

一番引っ掛かるのは人との付き合いかなーとも思うので、もし前は大丈夫だったのに今はちょっとなーとかあるようでしたら、いっときでもいいから距離置くのもひとつの方法かもしれません。

ラジオじゃないけど、周波数合わなくなれば、合わんのです。ノイズになっちゃうんです。

で、疲れちゃったら、一番復活早いのは自然の中なので、どこか近所の緑多いところで深呼吸してチャージして。

アーシングして身体の中の余計なもの出しちゃって。



でもね、感覚が澄んでくるというのは、この現象界の素晴らしさを堪能できるって事でもあるんです。

身体というものがなければ感じられない、味とか触感とか香りとかその他いっぱい、この地球システムで現れているマジカルさを、どんどん感じて気が付くようになって、その度に驚きが増すんです。

今までほんとーに当たり前すぎるほど当たり前にやっていたことが、なーんてスゴイ事なんだ!ってなことに(笑)。

だからね、ストーリーも悪くないなって思っちゃうんです。
こんな美しいものを体感出来ると思えるんですから。そこはもう、じゅうぶん味わっちゃえばいいんじゃないかと。
まるで絵本の世界に飛び込んだみたいに。



とは言えこの移行期、ぐわんぐわんと振り回されて、そりゃーキツかろうです。
わたしもブンブン振り回されてます(笑)。

大ゴミ出しの時はびーびー泣いてます。こーんな大人になってびーびー泣くとは思ってもいませんでしたが、でもいいんです。涙出尽くすまで泣くんです。

ある程度したら、ピタッと止まります。
もうその後はスッキリです。

何か大きめのものをクリアにすると、また感覚が澄んでるような気がします。
アンテナの感度がよくなると言うか。

そしてまた、感度が良くなったからこそ感じられるようになったナニカで、掘り起こしが起こるんです。

その繰り返しです。

移行期だからとか、ホントはそんなもんも関係ありません。

ただただ気付いていくだけです。
身体があるかぎりオワリはありません。
もし何らかで一瞬のヒラメキをみたとしても、その後またこの身体での人生は変わらず続きますから、(自我視点での)気付きは続きます。

ただストーリーに埋没することはなくなるので、視点は変わってます。
ストーリーをストーリーとして楽しめる、とも言えるかもしれません。


お釈迦様の頃からみたら、まさかこんな時代がやってくるとは思ってもみなかったんではないでしょーか。オヨロコビだろうなぁー。



新米を食べた時の感覚のチガイ。

見えないもののパワーというものを
これから益々感じていきます

見えるものだけではない
という意識に変わっていきます


わたし は
見えないもの です

じぶん も
見えないもの です

どーにかこーにかして
見えてるもの としてきましたが
それも揺らいで来たようです


みえていようが
みえていまいが

なにもかわりません



でも

この地球の美しさ鮮やかさを
見ることで体感出来るというのは

ほんとうにミラクルで
ステキなことだなーと

ありがたさで
いっぱいです


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kitoma
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