切り替わり創りかわり
この暖かさで有難いことにまだ暖房を入れずに過ごせてる それにかまけてエアコン掃除をまだしてなくて でもそろそろやらんとなあーと重い腰をあげて済ませ これでいつからでも暖房入れてOKだあ よかったなあ
よしよし頑張ったなーと自分を褒めてあげて 蒸かしてあったサツマイモを温めがてら周りをカリッと焼いてホクホクしながら食べる
最近また食べてみたかったお店とかの確認作業みたいなのが始まっていて 気になっていたけどタイミング合わずなどで行けてなかったお店をテイクアウトしたりしてるけれど どれも今回だけでいいかな という感じなのでやっぱり行けてないとかタイミング合わずはそういう事なんだよねと改めて思い そろそろその感覚信用しなよ と自分から突っ込みが入る
加えて今までヨキと思っていたお店なども合わなくなってきている所が結構あって そーか感覚も変わって来てるのかと実感する
もうこの「合わない」感覚は「もしかしたら」にすり替わる事はないから スパッとやめることにする 今までのように少しの余白を残しておいてももうこれに関しては変わらない それにもし合うようになったとしても今の自分とは別物が合うようになったんだから その時それを考えればいいや
こうやって季節の変わり目でも節目でもいいから 都度都度見直しがてら自分チェックをやっていると 変わっていないようで変わってるもんだなと気が付いたりして面白い
にしても 12月ってどうしても掃除しなきゃとか捨てなきゃとかそんな思いがワサワサ湧いてくるのだけど これってやっぱり今までのクセもかなり入っているよなあーと笑う
幼い頃からの風習で 大掃除とか年末ナントカとか そういった季節の風物詩的な感覚はやっぱり湧いて来易くて 新しい年は綺麗に とか これらも「そういうもの」として大晦日~新年とか「暦」というなかでの感覚で 実際起きている事は いつも通りに日が暮れて いつも通りに夜が明ける という事だけなのだけど そこに特別感を付けてみんなで味わっている
そこに意味づけしているだけ って分っていても そうする事で楽しくなったり出来るのがこの世界のいいところでもあるから 季節や暦のイベントとかはそこに執着しなければドンドン楽しんで愉快さんでいるのもいいんじゃないのかな
例えば暮のお掃除も 大掃除だから だとちょっと重くて面倒だけど 私はそれにかこつけて普段やらない所の掃除をしたりするので 年に数回の隅々掃除タイムであり気持ちよく今年が終えられる有難いキッカケにもなってる
普段から隅々まで定期的にやってる人 年に数回やる人 みんなそれぞれの好みや都合でやっているから それが心地よいならそのやり方で
昨晩からまた
何となく空気感が変わったなーと感じていて
夢見も今までと趣が変わっていた
自分の真ん中に意識を合わせると
結構強めのナニカが訪れていて
ドクンドクンと波打っている
ハカイと再生 ではなくて
ハカイと創造 なのね
ハカイされて出来たスペースに
創造がひろがる
壊れたものの作り直しではなくて
新たなる創造
更地だから 今までと同じ風にしてもいいし
まるっきし別物を創ってもいい
そこに 今までこれがあったから と
かつて を取り込んじゃうと
古いやり方に引っ張られるから
思考にはお休みして貰って
直感や何となく で 新たな創造
これからはこの 直感や何となく が
どんどん研ぎ澄まされていって
あ これでいいんだ と分るようになったり
よく分からないけどそうなんだ と
理由理屈つけなくても受け入れられたり
そんな事が増えてくるんじゃないのかな
今までは絶対納得しなかったような物事も
何となくゆるりと受け入れられるようになったり
因果なくてもいいんだって事に
少しずつでも開けてくる
自分のなかでも
こうだからこうなってきた が
どんどん緩んで
今まで作り守って来た 自分の決まり を
崩していけるようになっていく
自分のなかの決まり がゆるむと
そこに対して人へもゆるむから
許せること が増えてくる
逆も然りで
人への出来事が許せるようになってくれば
自分の中のその対するものへも
許せるようになっている
どちらからのアプローチでも良くて
でも
詰まるところは じぶんごと に
目が向けられるようになっている
どれだけ自分で自分が許せない所があっても
大いなるもの みなもと ぜんたい
かみさま 精霊 ホーリースピリット
様々な名前のそんなものらは
その 自分を許せない自分 をも
まるっと赦してくれてるから
だから だいじょうぶ
それは 許せないという”思い” なんだよと
囁きかけてくれている