守らなくても 護られている
先月パスケースを失くしていて
それが届けられたと連絡があって
警察署まで取りに行って来た
失くした時 家中どこを探してもなくて
やっちゃったーとちょっと凹んだけれど
何故かその時
うーん でも見つかる気がするなあ
と思っていて そのタイミング来たら
どーいう形でかは分からないけど
多分出てくるんだろ と探すだけ探して
後はすっかり忘れるくらい放っておいた
連絡あった日は
普段行かない目的地があって
そこは前日にそこ行こうかな~と思いついてて
で 指定された警察署は
同じ通りの並びで5分と離れてない距離で
予定変更しなくても楽に受け取りが出来た
なんなら 受け取りするために
そこへ行こうかと思いついたんじゃないかと
思っちゃうくらいのシンクロだった
もう当たり前にこういう事は起きているけど
精度が増すごとに
自分が決めて動いているんじゃないよなあー
と思えてくる
何かあると
思考は速攻ワチャワチャとけしかけてきて
何で失くしちゃったんだろう? とか
挙句の果ては
これにはどんな意味が? とか
もうガンガン暴走しまくるけれど
探せるだけ探して
必要な手続きもやっといて
そしたら出て来て受け取って
起きた事は
私の前からパスケースが消えて
違う場面になったらまた現れた
ってだけなのだけど
そこに
失って困る とか どうしよう とか
色んなストーリを付けちゃうから
ややこしくなって まるで大事かのようになっちゃう
起きてる事は
至ってシンプル
で
もちろん見つかれば嬉しいってなるし
良かった~って思うし
そういうのも当然湧いて来て
それがワルイとかイイとかじゃなくて
そこからまた
普段の行いが良いからだね とか
ヨキ事にも色んなもんくっつけて
しかも ヨキ事なんだからそう考えるのは当然
とかまた勝手に思っちゃったりしてるから
気が付かないうちに
ジャッジのぐるぐるにはまって行く
ヨキ事だろうが
ヨロシクナイ箏だろうが
ヨキーヨロシクナイ としてる時点で
ジャッジ(判断)してるんだから
そこで足踏みしてても
どーにも変わんない
じゃあ 喜んじゃだめなの?
悲しんじゃだめなの? とか
言葉尻掴んでやって来るけど
そういう感情というものが
湧いて来るようになってるんだから
わ~い! って思いっきり喜んで
そこでオシマイ にしちゃえばいいだけで
そもそもあなた
「これから喜ぼう」と思って
喜んでるんじゃなくて
突然その喜びが湧いて来たんでしょう?
ってトコなんだけど
いつのまにか
自分の意志で喜んでる とでも
思っちゃってるんだよなあー
ほんとにそうなの?
自然界だけじゃないんだろうけど
とにかくサポートが強くされてるなーと
感じていて それはもう
至る所にサインが見つけられる
自分を開けば開くほど
強く感じられるだろうし 信じられるだろうし
ああ そうなのか って
ストンと落ちる事も増えてくる
自分を開く というのは
誰に対しても 何に対しても
自分の全てを見せるとか言うんじゃなくて
その
自分の真ん中で 閉じちゃっているやつ
頑なに 壊そうとしないやつ
ガッチリ鍵までかけちゃってるやつ
その
氷漬けにしてるやつを
どんどん溶かして
囲わなくても大丈夫って
余計なもの取っ払って
その 安心感 で
じぶんをいっぱいにする
その 安心感であるじぶん から
外側を観てみると
「私を守らなければいけない」が
最前面で働くことはないから
守るために必要だった言葉も
防ぐための態度も
無くても大丈夫なんだって
分かって来る
今はその変化が
とても分かり易く現れてくれてるみたい
だから
これでいいんだな って
思えるようになるのも
早いんじゃないのかな
そうやって
自分 というものを落ち着かせていくと
自分が考えている という 思い も
この身体が自分 という 思い も
少しずつ隙が出て来て
あれ? ってなってくる
虫の音が
ものすごーく心地いいオトで
自然の癒しを奏でてくれてる