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その時何に反応しているか観るかのように
スーパーの自動精算レジで 入れたはずの500円分が表示されない
あれ? 入れ損ねたかな?でも入ったような音は聞いたなあ
入れた所を目視はしてなかったので入れたつもりで落ちたか?と辺りを見てみるけどそれらしきものは無い
レジのおねーさんに声掛けしたら担当の人を呼んでくれた
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待ってる間私がキョロキョロ下を探しているのを見た別の男性スタッフが「お金落とされましたか?」と声掛けしてくれて その頃担当者らしき少し若者がやってきて二人におねーさんが事情説明してくれた
担当者らしき男性はレジに鍵を突っ込みぼそっと「入ってないんじゃないの」と言った
声掛けしてくれた男性は「途中で引っかかってないか見ますねー」と言ってくれてその場を去って行った
レジを開けたら落ちる途中で見事にはまっていて私が「あった!」と言ってそこを指した
担当の男性は500円玉を取り出してレジを元通りにして無言で去って行き 私はレジ清算を済ませて先ほどのおねーさんに「途中で引っかかってましたー ありがとうございました!」とお礼を言いおねーさんは「お待たせしてすみませんでした」と笑顔で返してくれた
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おねーさんに声掛けする前にほんの一瞬「疑われるかな?」という思いがよぎった
目視してなかったから入れたという確証が自分の中になかったから落とした可能性も充分あるなーと思った
で レジ開けて貰って無ければ(レジに異常ないならば)今回はもういいやと思っていた
担当の男性が「入ってないんじゃないの」とぼそっと呟いた時 一瞬「へ?」と思い 何言ってんのコイツと胃の辺りがキューっとつぼんだ
その直後に別のスタッフが「引っかかってないか見ますねー」と明るく言ってくれた言葉にそのキューッがふわっと緩んだ
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私は結構ハッキリしているので今回みたいな場合 しかもぼそっと私だけに聞こえるように言ったその人には今までなら「(入れてるかないか)それを確認するためにあなたが来たんですよね?」くらいの事はへーきで言う もしくは他のスタッフにこういう対応をされたと伝えたりする 陰でやられるのがキライ 言うなら正々堂々とみんなに聞こえるように言えよと思う
でも今回はそれら一切をやらず ただ自分の内側の動きを眺めていた
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キューッとつぼんでふわっと緩んだその感覚
言葉というものでどれだけ普段自分が反応しているのか
と同時にその担当者の彼の様子から 自動レジになってからお金を入れた入れないでトラブルもあるんだろうなーと感じた
そのくらいその人は重かった で場合によっては確信犯で騒いで何かを得ようとする人も居るんだろうなと想像がつく
そんなのが繰り返される担当係なら ぼそっと言いたくなるのも分からないではない
だからと言ってあの言葉は心地いいものではないし それを確認するための作業であり担当なのだからそれを言葉にするのはちょっと違うと思う
中にお金があって無言で去ろうとする彼に「ありがとうございました」と声掛けして私のナカは穏やかになった ちょっとだけ「あったじゃん!」と心の中でつぶやいたけど(笑)
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言葉というものは
便利だけれど不便でもある
そこにある「言葉」は同じでも
そこに隠れたり付いている背景や意味づけが
全員違うから
そこは想像力というものがないと
交わることはない
例えば今回のケースで
自分はお金を入れたのだから
レジがおかしいし
ぼそっと呟かれるのもおかしい
と自分の正しさの立ち位置だけで観ると
イカリとか反発とか正義性とかしか出てこない
けれど
そうしたつもりなんだけど
どうなんだか分からないから
本当はどうなのか見てみよう
という立ち位置で居ると
そこにスキマが生まれ多様性が出てくる
そうかもしれないし
そうじゃないかもしれない
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自分というものを
ひとつの所に押し込めない
縛り付けない というユルさ
かと言って泣き寝入りするでもなく
言わなきゃいけない事は
言葉にして言うけれど
そこに 自分だけの正しさ は
要らないんだろうな
要らないというか
それ 自分だけの正しさだよね?って
気付けるかどーかなんだろな
呟いた彼は明らかに重く暗く
呟かれた私はその重さを受け入れず
巻き込まれず見過ごせたというのは
ある意味お試しのよーだったこの件は
いい塩梅だったみたい
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ことば ことだま オト
これらはこれからどんどん響いていって
その役割を示してくれるけれど
今までとはちょっと違った現れになるから
真ん中からそれを観たとき
ああ そうなのか と
どこかから理解がやってくる
大きな大きな渦が
ゆっくりと
さまざまな置き土産を投げかけながら
流れていく
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