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駿足11月がシマイになり
11月も終わっちゃうのね。もうその早さにビックリで何やってたかも覚えてないけど。
11が終わるのもビックリだけどあと1ヶ月で今年が終わるというのも全く実感ないくらい。
今年は何やってたんだろう。何もしてない気がするなーとちょっと振り返ってみたりして。
今年はひたすら"自分の意識"と向き合ってた気がする。そもそも意識って何ぞや?から意識の向け方、意識の捉え方、諸々。外向きの意識から内側向きへの転換。それにより変わる体感覚やら何やら。出来事としては色々あったけれど、結局どれもそこが絡んでそこに落ち着く。
「自分の意識」なんて個別のものはないけれどもあたかも有るように感じるし、外向き内向きとか言葉としては使うけれどもその境目なんてないからなーなんて思いながらも言葉の限界で使ってたり。
その曖昧なものと身体というものを通して「いま実際感じる体感覚」とのやりとりやら、見えないものらと目の前の現実と言われてるものとのバランスとか、そんなこんなで現在に至る、みたいになっている。
色んな立ち位置、どの視点から捉えるかで全く違うし違うからこそ面白いのだけど、結局のところ「自分」がやろうとしてる限りは変わらない。
根本的なところは不変だしそこを垣間見ようとジタバタするのだろうけど、知識を幾ら得ても余計こんがらがるだけだから、やっぱりジブンの中の静寂さに落ち着くことになっちゃう。
なんだかなー。
「自分」というものを諦めるためにあれこれやった今年のような気もするなあ。もうそんなものないと思っていたのに、叩けばいっぱい出てくる、出てくる。
何よりも。
すべては"得るためのもの"ではなくて、"削いでいくもの"で。足し算ではなくて引き算。
不足感からスタートする観方から、「既にある」のだから余分なものを落としていくという視点の転換。落とすことで観えてくるもの、落とさなければ観えてこないもの。
落とすことは失うことではなく、あったものを見つけられること。あったものを思い出せること。
さてさて怒涛の12月がやってくる。
日常の生活は変わらずまったり過ぎてゆくだろうけど。
何が訪れるか楽しみにしつつ
無事11月も終えられることに感謝しつつ
この瞬間もイマを楽しみたい。
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