流れ5月がシマワレて
昨日おとついの暑さから打って変わって雨曇りの東京。雨上がりを見計らってお散歩へ出掛けると、そこには雨粒たちがいっぱい。
月末日なので今月無事過ごせたお礼をいつもの神社へ。
シーンと静まってる感じがして、月替わり前だからかしらん?とか思ったのだけど、そうではなかったみたい。
暑さ続きの後の雨が降り、乾いた地面に吸収され、枝葉へもたっぷりそそがれた天からの潤い。
それらを、ゆっくりと染み込ませ、また次へぐぅんと広がりのびるために、いっときの鎮める空間。
動と動のあいだの静。
水という恵みを、陽の恵みで放ちきった隙間に受け入れ、その恵みでまた生まれ変わり、新たな放ちへ導かれる。
無音の中で、それらが黙々と流れている、そんな感じだった。
月初から変化スピードの速さとUPダウンの振り幅あるなぁと言ってはいたのですが。
まあ本当に目まぐるしく変わっていったこと!
先月末がどんな感覚だったのかももう思い出せないくらい、自分の中も変わっているようです。
何かの気付きがあり、それを言語化しようとしているうちにまた次の気付きが訪れ、書き途中のnote記事も既に違う感覚となっているので「なんか違うな」となり、書き直してるうちにまた次の気付きで変わってしまう。そんな事を繰り返したりもしていました。
視点の変化、感覚の拡がり、何だか毎朝目覚めるたびに生まれ変わっているかのようでした。
そしてそれは今も続いています。何ならもっとスピードUPして。
面白いのは、何かしらの大きな気付きや手放しがあった後は、必ずそれを身体に染み込ませるかのような「間」が訪れるのでした。
まるで今日神社で感じた植物たちのように。
ああそうか、となった後にそれがゆっくり身体に行き渡り、調整されてジブンの真ん中が深まり増す、ような。
精神的なものだけではダメで、それを肉体としても受け入れて馴染ませていい塩梅とさせる。
そしてまたそこから湧き出たものを現していく。
それには睡眠というものがとても関わっていて、寝ることで精神も肉体も休め、その間にデータアップデートされていく、そんな感じです。
だから「眠い」となったり「身体が疲れてる」となった時は、他のは後回しにして「眠り」を優先させていました。
と言うか、もう眠くて眠くてどーしようもなくなるので、起きてられなかっただけですが(笑)。
「自分でしない」というのはこういうことなのか、という欠片のようなものを身をもって体感させて貰いました。
理解を越えたものでした。「こうなんだろうな」をはるかに越えたナニカで、これを言葉で現すとものすごくシンプルになってしまいそうで、まだ出来ていませんが。
過去理解の頭は使わなくていい。
心からそうおもいます。
そうした方がスムーズに流れ、そうしないで突破しようとした時の違和感がこれからどんどん強くなるのでしょう。
「そっちじゃないよ」というシグナル。
そして本来のジブンから湧き出たものに素直に従って動き現したときの、歓びのすごさ。
ココロが躍り、身体中の細胞が活きかえるようなものすごいパワー。
それが起きた後の、内面変化も早いし、現実変化もものすごく速い。
昨日から今日へ、今日から明日へ繋がって行くという「思い込み」の断ち切り。
時間は繋がっていないです。
私の中ではもう、確信に変わっています。
だからこそ、今まで無意識に身に付けて来た「思い込み」や「視点」を、見つけてはトットと手放していきます。
見つけたら「ラッキー♪」くらいの感覚で。
外れるたびにセカイが変わっていくので、面白くて仕方ありません。
不思議の国に入り込んだようです。
もちろん日々思考に取っ捕まる時もありますし、ヤな感覚が沸いてくることも多々ありますが、それがあって当たり前なので、そんな時は「きーたーなー」とジッとしてるか味わっちゃうか、メンドクサイからとポイしちゃうか。その時々いろいろです。
この "瞬間" の想いが、次の現象へと繋がっていきます。
いつもどこに自分の「思い」が向いているのか、エネルギーを向けているのか。
毎瞬毎瞬、自分は何を創造し続けているのか。
「思っていること」はすべて「想像していること」へと繋がります。
継続性と、どれだけそこにパワーが込められているかの違いだけです。
なぜ「思考」から距離を置かないといけないのか。
「思考」は「自分」ではないと見抜かないといけないのか。
ま、 "いけない" ことなんて何もないのですが。
この身体を使ってこその地球での遊びを楽しみ始めている人が沢山現れてきています。
そういった方々と共振共鳴した時の面白さ、嬉しさ、不思議さ。
かるーく、軽く。
どんどん軽く。
そんな方々と沢山出逢いたいし、楽しみたいです。
あなたとも、出逢いたいです。
目まぐるしかった5月がシマワレます。
6月は更にスピードUPし、グレードUPして日々という名を見送って行くのでしょう。
それでもやっていることは同じで。
「自分」というものにとらわれず
毎瞬毎瞬 いま に在り
お出掛けしてしまったらまた戻り
休んで潤い
そして
流れのなかで現れてきた
いま 目の前の出来事を
淡々と楽しみながらやっていく
ヨロコビも
そうでないものも
その瞬間に
味わい尽くす
そして
そんなことが
「出来ている」と感じられ想えている
この摩訶不思議さに
また
よろこんじゃったりしています
畏敬の想いとともに
夕方には雲も流れ
夕陽がキレイに顔だしてくれました。
雨があり
曇りがあり
光がある
流れ流れて
流れています
5月、オツカレサマでした!