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”もう変わっている” を認めるハジマリ
初詣はいつもの神社へ
三が日過ぎたから
もう大丈夫かしらと思っていたら
まだ結構な人出で並んでいたけれど
警備の方が声掛けして整列してくれていたので
案外すんなり流れて待たずに参拝でき
ありがたいことでした
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鳥居をくぐった瞬間
ゆるやかな穏やかさになっていて
あ~柔らかいなあ~と 嬉しくなり
まだ 活動 というのではないけれど
暮れのような強さも和らいでいて
そう
暮れのパワフルさが
ゆっくり馴染み溶け込んだような
そんな感じ
パワフルも穏やかも
すべて内包した 何とも言えない
優しい感じ
あー 年が変わったんだなあと
実感した
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樹々も穏やかで
暮れに感じたような強烈な感じはなく
どこかへ引き上げようとか広げようとか
そういった特徴的な動きではなくて
本当におだやかーに じわーと馴染んで
身体じゅうが凪になっているような
そんな感覚で
うーん やっぱり
昨年後半のあれやこれやを
撹拌して馴染ませて調和されてるような
そんな感じがするなあ
正月特有の 凛とした感じ とも
ちょっと違う
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参拝に並んでいたら
社務所へは列を横切らないと行けず
大人(親)は当たり前の顔して通って行くのに
小学生くらいの男の子が
「とおらしてくださーい」
と言いながら足早に横切ったので
思わず顔が緩む
彼はそれが当たり前ではないのだと感じて
ちゃんと言葉や行動に表している
ベビーカーに乗せられた幼子が
境内響き渡るくらいギャン泣きしてる
親はどうにかしようという気配も
本殿前敷地内から出ようとする気配もなく
ずーっと泣声が響き続いてる
お腹が空いているのでも
眠いのでもない泣き方で
何かを一生懸命訴えていたのだけど
いつもの事なのか
親を含めた周りの大人たちは
スマホいじったり談笑してる
確かに気が済むまで泣かせる
というのもあるのだろうけど
場所が場所で混雑の中だし
それよりもその無関心さは
多分その子に伝わっていると思うんだけどなあ
今は子供の方が
中身は数十倍おとなだから
彼ら彼女らから気づかされることは
本当にたくさんある
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御神籤は 小吉 だったけれど
暮れに行った別の神社で
2種類御神籤引いたら ふたつとも 大吉 で
え?もう正月バージョンになってるとか?
と変な疑りしちゃった(笑)
違う趣旨の御神籤だったけど
書かれていたのはほぼ同じことで
今回の小吉御籤も 内容読んだら
大吉御籤と要は同じ事だなーというもので
つまりは 方向性はこんな感じね って事で
大吉だろうが小吉だろうがおんなじかーと
笑っちゃった
そしてそれらは
今私が感じていることと
ほぼ同じだったから
答え合わせを貰ったようで
嬉しかったなあ
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実は元旦は
前日の掃除の筋肉痛で
朝起きたら動けず 笑った
へ?っと思ったけれど
そーいやー普段使ってない筋肉
使ったよね はい 運動不足ね と
すぐさまその日の動きは諦め
まーったりしてた
それでも暮れは
どうかなーと思ってた事らが
それでよし と明確になったり
今まで出来なかった事が
身体が動いてくれたり
去年一年の答えを見せて貰ってたようで
嬉しくて
思っていたより
お雑煮も美味しく出来て喜んだり
取り敢えずはすべての物事が
自分が思っている以上に
簡単でスムーズに事が運ぶのだと
この変わり様に ほぉーっとなってる
想い描いていても
それ以上の事で起きるから
ヘタに考えてもしょーがないし
現われが早くなって来ているから
自分の意識の向いてる所に
とっとと気が付いて
これ違う!だったら直ぐに変えないと
それがすぐに現れてくる
巡りは確かに早いのだけど
ウチ(真ん中)に
入り易い流れにもなっているから
気が付いて直す を繰り返して
上書きと言うか書き換えというか
整えていくんだろうなあ
長いスパンじゃなくて
めちゃくちゃ短い細切れ感覚
しかも直ぐ後には
それがもうじぶんの中で
変わっているかもしれないから
その時々のじぶん というものから
目が離せない
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ただ わかっているのは
間違え というのはないし
正解 というものもなくて
起きた事 という事実(事が実る)はあるけど
それが 自分のほんとうかどうか と言うと
その時の自分には本当だったけど
今の自分にはちょっと違う って事もあって
自分の中での 本当 もその時々で変わるから
そこをも固定化しちゃうと
そうであるべき私 となって
キツくなっちゃう
ここで言っているのは
自我を含んでいる自分
真底の 本来のじぶん では
そもそもそういった比較の問いは
起きようがないから
敢えて言うならば
自我自分の言葉で言う 本当 が
本来のじぶんフィールドへの意識が
深まりを増すごとに感覚が変わるから
その時々の本当がウソではなくて
そう変化してきた というのが
近いのかもしれない な
だから 偽っていたわけでも
間違っていたわけでもなく
ただ単に その時の理解がそうだった
というだけ
そう考えると
自分の中でこれだけ感覚が変わるのだから
あの人がこう言ったとか
そういうのをいつまでも持っていても
実際自分の中で適応して来なく
なっているんじゃないのかしらん
でもって
他が変化していたとしても
その部分だけ ”かつて”を握りしめているから
違和感ハンパないだろうし
そこの部分が強すぎて引っ張られちゃう
それはもう
これからの時代もったいないなあ
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新しい年を迎えて
新しい子らに色々みせられて
新旧入り混じりと新旧入れ替えの
両方がチラホラしたお正月
今年はそうね
その入れ替え切り替えを
真っ向から受け入れる年に
なりそうだなー
でもきっと
色んな沢山のサポーターが
ちゃんと応援してくれているから
だいじょうぶ
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我々は
この身体をもって
それを楽しんでいくだけ
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