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それぞれがそれぞれですばらしくありがたく

一日中雨模様の天気予報に洗濯とお散歩は諦め それでも週末買い出しだけは行かんとなぁーと 小降りになったのを見計らって濡れてもいい恰好でエイッと家を出る
雨の日のお出かけは足元が危ないので出来る限り傘はさしたくなくて 多少の雨なら帽子に任せて両手は空けてゆっくり歩いている
週末買い出しは土曜だけ特売やるお店で買い物するのが目的で そのお店は直ぐそばだから足りないものの補充に他の店を回っても全部ご近所さんで大した距離ではない

裏道入って丁度揚げ物やってる時間帯だと思い出し それならばと先に肉屋に寄ってトンカツを揚げて貰うようお願いして 揚がるのを待つ間にそこから数メートルの距離の八百屋に行って幾つか買って肉屋に戻り 昼時で揚げ物目当てに並んでいるお客さんの後ろに着いていたら 店の中から揚がったものを持ってわざわざお店の人が出て来てくれた

以前この店でトンカツ揚げて貰ったらどこかのお店で食べるよりもよっぽど美味しくて それでも普段あまりトンカツ食べたいとならないのと 揚げてくれる時間帯が限られているのと揚げてる間少し待つのがあまりタイミング合わずそれっきりになっていた

雨が好都合で初め通った時お客さんが並んでないのを見て久しぶりに揚げたてトンカツ食べようとなりその場でトントンと決まってお願いして
一番小さい大きさで頼んだけど自分にしては普通サイズの大きさで 揚げたての香り楽しみながらもうひとつの八百屋に行って 週末だけお得に買える商品だけ幾つか買ってお家に戻る

速攻キャベツの千切りをして 糠漬けもあるしお味噌汁もあるし 揚げたてのトンカツで定食スタイルが出来上がり久しぶりのトンカツを美味しくいただいた

これも雨のお蔭でもあって いつもなら一回外へ出たら色々回って散歩もしてついでに買い物も済まして帰るので その間に揚げ物タイムも過ぎてしまったり重いもの買って疲れてしまったり歩きすぎてしまってヘタレたり まあ色々なのでこういう雨の日のピンポイント買い出しお出かけだからこそ成せた出来事でめでたしめでたし



つい先日は職人技にうおぉーとなった
身体の都合上足に合う靴を見つける(もっと正確に言えばちゃんと歩ける靴を見つける)のがなかなか難しくて 以前色々試したけれど結局諦めてた節があるのだけど たまたま靴のインソールを作ってくれる方と会う機会が設けられて お話聞いた限りオリジナルはやっぱり高いなーと半ば諦めながら会話してたら 今履いてるスニーカーのインソールをちょっと手を加えて下さると言う流れになってお願いした

目の前でスルスルと今まで履いていたスニーカーのインソールを手直ししてくれて今の私の足の状態に合うようにしてくださり ついでに私の足に合った靴ひもの結び方を教えながら整え結んで貰って
直されたインソールと合った結び方で履いたスニーカーで試し歩きをしてみたら ついさっきまで履いてきた同じスニーカーだとは全く思えないほど快適な履き心地と歩きやすさに変わっていたのには 心底驚いたのと ものすごく感激した

プロの人ってすごい!

足を計った訳でもなく何か型を使った訳でもなく 私の話と靴に出ている履き癖とで完全フリースタイルでものの数分で手直しされていくのを目の前でじぃーっと眺めていたのだけど 私との会話が途切れる訳でもなく作業する手は躊躇なくずっと動かされていて何の迷いもなく
職人っていう人はすごいもんだなあとほれぼれと見入っていた

ましてやさっきまで履いていた同じ靴が数分でまるでベツモノのような履き心地に変わったのだから やっぱり素人がとってつけた情報で頑張ってみた所でしょーもないということを納得した

あー 歩けるってこういう事だった って思い出した瞬間だった

それくらい歩き方が楽で軽やかだった

勿論そのまま履いて帰ったのだけど 直された状態での靴を履いて歩くと 今まで片寄っていた身体の重心が真ん中に戻っているのが分かり 今まで踏み込めなかった片側に重心掛けても大丈夫になった事に気付き 家に着くまでの時間で私の身体の中で一気に直され修正されていくのが感じられるのが可笑しかった

歩けるって本当は大切ですごいことなんだよね

歩けるのが当たり前でついつい忘れちゃうんだけど それを補助する靴も結構重要で 合わない靴はそれなりに身体のバランスを崩すから バランス崩せば中庸が偏るからまあ色々と影響あるよね
それ分かっているのだけど 市販の靴だとどこかでの妥協がどうしても入って だけど身体の都合上それが妥協出来る範囲が変わって来て初めて靴というものの本来の意義を知ったりするのだけど
知った所でどーしようも手立てがないって事も現実的にはあったりして
そういえばそういった事をかつて通って来てたから 今回のこのタイミングで身体のズレが正されて 歩きにくかったらしいという事さえ日常の当たり前さに埋もれさせてしまっていた事に改めて気付いて
だからこそプロの人はすごいなーと心から思うし感謝しかない


揚げて貰ったトンカツも
自分で揚げたらあんな風に美味しく出来ない
お肉屋さんで揚げてるからこその
美味しさってもんがある

靴のインソールも
見よう見まねで自分でも出来るだろうけど
担当してくれたあの人のような
完璧な仕上がりには当然ならない

それによって
身体のヨロコビかたも全然違う

お肉屋さんも 靴職人さんも
それぞれがプロで みーんなスゴイ



自分で出来ないことは
出来るプロの人にお願いする

以前は身体が動けちゃってたから
勿論プロと比べられないけど
自分で出来るんじゃないかと
それなりにやって一応満足して
自分で出来た という成した感で
そのまま過ぎて来たけれど

勿論自分で出来る事は自分でする
ってのが基本なのだけど
何が何でも自分でやるとか
出来ない範囲まで無理してやるとか
自分で出来ない事を恥ずかしく感じるとか

もうそう言った事は
どーでもいい って感じる

やるだけやって
やれることはやって
それでも出来ない事は
プロの方の力を借りる

プロの方ってのが固ければ
それが得意な方々 ってことで



でもって この「得意なもの」って
誰でも必ずあって
なかなか自分じゃ認められなかったりするけど
得意かどうか本人意識してるかは別として
この世に生を受けてる限り
その人だけの完全オリジナルな特質を
かならずまとっていて

だからこそ
いま 生きているし
生かされている

いまこの瞬間において
あなたという特質のピースも
わたしという特質のピースも
どちらが欠けていても成り立っていない

その特質を
知っていようと使わないでいようと
そんなの関係なく



いまこの瞬間
その個性であるあなたがわたしが
在ることですでに
もうじゅーぶん



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