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すべては訪れているということ

発端はひとつのAという手続きで。
その連絡が来たとき、正直ちょっとメンドクサイなーとか思ったのだけど、必要になるかもしれない物らを持って朝イチ出掛けて行った。

滞りなく手続きが終わりかけの頃、会話の中からBというものがあるから、それも聞いたほうがいいですよと教えてくださり。

その取り扱い場所がそこから直ぐだったので、取り敢えずそのまま行ってみた。

突然行ったので直接の担当者は不在で、代理で受けてくれた方が、Bは確かにあるのだけれど、今月末までCとDというものがあると書類を持ってきてくれ、午後なら担当者のアポ取れると言う。

もともとAの手続きが終わったら2箇所ほど所用を済ませに行く予定だったので、それならと午後からのアポをお願いし、2箇所の所用を済ませに行った。

所用を済ませてる間に先ほど貰った書類を見ていたら、住民票が必要らしい。
CかDやるかまだ分からないけど、アポ時間まで少しあるから、その間に住民票取って何か食べようーとなり、住民票1通だけとって近くの公園でおむすびとパンを食べて時間までぼ~っとしてた。

予定の時間に伺ってお話しして、あれ?っと思ってたら、もう流れがCの申込みになっていた。

取り敢えず話だけ聞いて、書類お持ち帰りで作成後再来訪だと思っていたのだけど、締め切りが今月末と言うこともあり、この場で記入作成して受けて下さると言う。

しかも。
他に必要な書類やら、何故か今日は持っていた。普段は持ち歩いていないのに。
それらは、元々のAの手続きに必要になるかもと持っていたから。

CかDどちらかかと思っていたら、C→Dの順で両方受け付けてくれると言う。
でも今日はCだけだから、住民票は1通でOK。これもなんとなーくさっき取っておいたから手元にある。

Dは来週以降に提出して貰えればと言うことで、帰りがけまた住民票1通取って、何だかんだでお家戻ったのは夕方だった。

本来だったら、2~3回出向いたり何回か問い合わせ確認しなければ進まない出来事が、1日で終わってしまった。

しかも、こちらからお願いしたのではなく、話が勝手に訪れて、そのままあれよと進んで行った。

身体は疲れちゃったけど、偶然が重なってある意味私にとってはミラクルのような流れであり。
ああまた観せられた日だったなーと感じる。


だからやっぱり、何が幸いするかわからない。
だって一番初めAの連絡受けた時はメンドクサイと思ったんだもの。

でもそのAがあったから、BCDが現れて。
必要なものも何故かその時には全部揃っていて。

今月末迄だったから、多分その時じゃなければもう間に合わなくて、話すら出てなかったんじゃないかな。

流れのままに、全てがカチッとはまった日。
それをまざまざと見せられた日。

Aの時にBの話が出てきた時点で、「あー、なんかの流れだなあ」と感じたので、そのまま任せながら眺めながら行こうと、なるべく頭使わないで、その時その時の感覚で動こうと決めていた。

どうなるんだろう?
何が観れるんだろう? って。

そしたら、3日かかるところを1日でやっちゃったから確かに身体は疲れたけれど、物も時間も見事なまでにピタッとはまった完璧さを観せてもらった。

はぁー、すごいなあ。
楽しいなあ。

CやDがこれからどうなるかは、分からない。
でも、どうなってももういいんだと思う。
今回のこの経験が出来たから。

どうなっても、多分それはその時の私にとって最善だから。



だって
こんな完璧な流れを見せられたら
そうである としか
言えないじゃない



今回のはあまりに分かりやすい流れがコンパクトに訪れてくれたので、時系列で書いてみましたが、ホントはこんなのが誰の日常にもホイホイ起きているんです。

たまたま も 偶然 もなく、小さい事から大きい事まで、気が付かないだけでいーっぱい起きてます。

ちょっと「自分」にとってヤな事でも、感覚のほうに目を向け、その時々の「なんとなく」を採用してると、結果ヤなことではなくなっていたり。

ヤな事とかコワサを感じる事とか、そんな時こそ感覚で動いてみると、必ず何かギフトが隠れてます。

それが分かっているから、それが訪れた時は「う~っ!」と一瞬なるのですが、そこから何が訪れるのか観れるほうが楽しみすぎて、えいっ!って動き飛び込むんです。

分かっていても、何回やっても、やっばり「う~っ!」とは一瞬思います。

だってヤなんですもん(笑)。
ヤなもんはヤでいいんです。そう感じるのは当たり前なんで否定する必要もないです。


公園でおむすびさん食べながら「なーにか起きてるけど、なーにかなぁー」とか思っていて。

どこかに入って食べるつもりでいたけど、やっぱりお外の方が気持ちよくて。

時折流れる風にワサワサ揺れる目の前の樹を見て安心して。

さいご住民票とった後、建物の目の前にあるバス停に着いたらちょうどバスが来て、完璧さの締めをしてくれた。

訪れるバスを見て、その日の一連のものは多分ぜんぶ上手く行くんだろうという確信とともに、なんとも言えないありがたさでいっぱいになる。



自分がやってるけど
自分じゃない

だって
自分で 考えて やってないんだもの

「自分が」頑張って頑張って
得られる達成感のようなものも
素敵だけど

また
何か次を達成しなきゃ
いけなくなって

どこまでいっても
オワラナイ


「自分が」頑張らないと
やりがいとかないんじゃないかとか
思うかもだけど

そんなことはなくて

それよりも
安心感とかそんな感じの
別のエネルギーを味わえるから

何よりも

この大いなる流れの完璧さに
もう 見事としか言えないような
ため息しか出ないような

「自分」が出ないほどに
それを感じられるから

だんだん「自分」も
そちらに安堵していく


ほんとうに
美しい

その中には
自然だけでなくて
人も含まれていて

あなたも わたしも

すべてまるっと で
完璧で
美しい

だから

あなたに
ありがとう

すべてに

ありがとう


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kitoma
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