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記憶の自分は過去の人

7日は家にあるお野菜で粥を作ったのだけど お粥さんは半合で充分だってことをすっかり忘れて1合研いで浸水させていて 炊く時になって気が付いた
うーん まいっかとそのまま作ったけど やっぱりすごーく沢山出来て 今夜もアレンジしたお粥さんを食べちゃった
お粥さんはシンプルに作っておけば幾らでもアレンジきくのでありがたい
シラスや沢庵 変わりどころで揚げ玉とか 海苔とか 冷蔵庫にあるもの組み合わせで結構いける 今回はびわ茶で炊いてみたからあっさり出来て何でも合う
作ると簡単に出来ちゃうのに何故かあまり作らないんだよなあー お粥さん好きだから時々は作るようにしたいなあー


これはいつぞやかの元気な野菜たち


この七草粥も去年までは七草入れなきゃと市販のセットになっているやつ買ったりしてたけど 今年はもう七草にこだわんでもいーわと思い 少しずつ残っている葉物や大根カブなどで充分出来ちゃった

イワレとか風習とか様々あって 勿論意味合いもあるものもあるだろうし 商業的戦略のながれでそうなったのもあるだろうし 調べれば分るのだろうけど もうなんかそこらへんも強固にこだわらなくてもいーかなーとなっている

いにしえをないがしろにするとかではないのだけど 何が何でも同じようにとかまではしなくてもいいかな という緩い感じ

それをそうしなきゃと頑なになるよりも 今回の七草粥ならば 「春の生命力のある七草を食べることで邪気払いをし無病息災を願う」というコトの始まりのようだから 植物たちの生命力に感謝しながらそのパワーを頂く気持ちでいただけば それこそ感謝いっぱいで美味しく頂けてそれでいいかなと

どうしてもそれでなければいけない という古い考え方をひとつずつ外していく なぜそうするのか の元々の意が大逸れていなければ 形が違うだけで大意が同じならばよろしかろう と私の中ではなってきている

もちろん手順に意があるものはそうするけれど



去年の12月あたりから
今の自分に合わないものへの入れ替えが
また行われたような感覚があって

それまでOKとしていた人に
あれ?と思う感覚があって
再度会ったら ああそうなのかーって
変わった事を確信して
合わなくなるにはちょっと意外な人だったから
そういうもんなのかと思ってみたり

あと顕著に現れたのが
今までの自分の思い込みの引っくり返りで
これは×なんだろうなーと感じていた事が
実は〇であったらしいというお知らせが
幾つかあったり

そこらへんも あの時はそうだったけれど
今はそうなのかは分からない という
基本のキで対峙するよう意識していたからか
自分の中の かつて で
新しい その時 を視てしまわないよう
特にそういう相手や場の時は
意識するようにしていたら
何となくそんな流れになっていて
あーやっぱり自分の意識しだいかあーと
改めて認識させられて面白い



こうなってくると
ドデカイ事はちょっとだけど
そうでもない事で苦手とする相手とかに
この感覚で対してしみたらどうなんだろ と
興味の方が湧いて来ちゃって
例えば以前対応よろしくなかった窓口の人とか
そういうちょっとした事で試してみて
自分の意識が変わる事で
周囲は本当に変わるのか と
実験のように楽しんでいる

自分を偽ってへりくだるとか
相手に合わせるとか そういう事ではなくて
前回の対応はスッパリきれいに忘れて
まるで今回が初めましてのように
そして私の対応担当してくれてありがたいなー
と そういう感覚で接してみると

自分のほうに揺らぎがなければ
ほぼ前と同じ対応されることはない みたい

まだあまり試せてないからアレだけど
というか元々あまりヤな対応されたという事が
記憶にないからなのだろうけど



例えば定期的にやっている事とか
年イチでやる事とか
そういったある程度期間開けてやる事は
笑っちゃうくらい
前回の記憶 が役に立たなくて
それを何回か見せられたから もう諦めて
最低限のやるべき事だけやって あとは
「今回は初めまして~」の要領で対すると
へ?と思うくらい予想以上のスムーズさで
事が片付けられたりするから
今は本当に面白い

どれだけ以前の自分の記憶から離れられるか
が 楽しめる鍵なのかもしれないなぁ



まだ年明け一週間しかたっていないのに
猛ダッシュのように様々あって
今年もフルスピードで過ぎ去りそうだなあ


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kitoma
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。