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遊ぶルールが変わってきてるから piece_vol.51

視点をどこに置くかで
観えかたも感じかたも変わって
どれが正しいというのではなく
どの視点で在りたいか
なんだと感じる

たぶん人の数ほど方法はあって
そのどれもが間違ってはいなくて
全部それでいいんじゃないのかな


人の数ほどあるということは
やるのはジブンで
ジブンしかできなくて
だから
目安やきっかけは
誰かや何かで知ることは出来ても
ジブンでやらない限り
届くことはない

だって
ジブンは
完全オリジナルだから

誰かや何かから得たものは
誰かや何かのオリジナルであって
ジブンにピタッとなるわけないし
だから
せっかくまわりが与えてくれた
キッカケというギフトを
開かないで積んでおいても
そのうち置き場がなくなって
あららということになっちゃう


人の数ほどあるということは
どこかにジブン好みがあるということでもあり
"この中からでなければ"
という枠組みをゆるめれば
もっと容易く
流れてくるんじゃないかな

流れてきても
ジブンがいっぱいいっぱいだったら
受け取ることも出来ないから
やっぱりスキマは空けて
風通しいいほうが気持ちいい


本当に 感覚 へ移っていくから
移っているから もう

アタマの使い方も変わってくるから
ここらでいったんお休みさせて
先ずは眠らせておいた
感覚 というものに眼を向けて
色んなもの見て
色んなもの聞いて
その時のジブンの感覚を感じて
アタマ使わなくても
大丈夫なんだという
実感を重ねて


知識もういらないから
ジブンで 
ジブンが
やるしかない

じゃないと
ナニも動かない


想像の世界は
制限がなくて
果てがなくて

ジブンの
枠 や 囲い を
外したぶんだけ
どんどん拡がってく

その面白さに
触れたとき

いままでとはチガウ
ナニカが
感じられるのかもしれない


目の前の世界も楽しいけど

チガウみかたも
愉しい




ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。