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満ちた から 満ちていた への移り変わり

すっかり気にしなくなっていたけれど今日は天秤座満月だったのね しかも月蝕でもあるらしい

春分前からエネルギー的にもずーっとパワフルだから 新月満月とかの濃淡があまり感じられなくなっていて 今回も何かを見て満月なんだと気が付いたくらいで この前の新月からもう2週間も経ったのかと驚いちゃう

データーアップデート的なものが強くて どんどん脱皮して生まれかわっているのが毎瞬繰り返されているようなそんな感じもして 夜寝て朝目覚めると ”昨日”はもうどこかへ行っちゃっている

それだけ前日からの継続的なものを引きずらなくなってきているのかもしれないなあ



私みたいに ”自分” を観察するのが好きな人はこういった些細な変化も気付くけど あまり興味のない人はそんなの関係なく日常が流れていくから こういった 全体的な変化 はゆるりとナチュラルにいつの間にか染み込んでいってるんだろうなー これって結構スゴイこと

そう 私だけに起きている事ではなくて 全体的な変化 だから気が付ていようといまいと誰にでも起きていること

もちろん誰にでも起きているからといって状況は違うから 自分にまとっている執着みたいなものとか思いクセがどれくらいあるかにも現れ方は違ってくるしタイミングも異なってくるだろうけれど だけど流れ的に起きている事はみんな一緒 同じ地球に住んでいる地球人だから



満ち満ちているものは
何だろう

満ちたもの ではなくて
もう既に満ちているもの

既に満たされているもの

そう
意識を向けてみるとき

今までのあれやこれやが
一瞬で駆け巡って過ぎ去って

なんやかんやあったけれど
いま は
じゅーぶん満たされているなあと
そう 感じます



何かをふんだんに持っているとか
とーってもイイ事があったとか
他人様から見たらもしかしたら
そうは見えないかもしれないのですが

でも やっぱり
いま という ここ に合わせると

足りてない と思えることが
浮かんでこないのです

そう感じたすぐ後に
あれ補充しとかなきゃ とか
こうしときたいな とか
あれこれ思考は出てくるのですが

その 思考 と
いま満たされている というのは
ベツモノで

直後から動き回る思考を
普段はとっつかまえて
自分が考えている としているから
満たされている という感覚が
薄らいでいるのかもしれません



でもその
チラッと通り過ぎる
あ 満たされてたんだ という
そこに留まってみると

もう 感覚でしかないのですが

忘れていたナニカの端っこを
かすめたような感じになるのです

理由や理屈のいらない
安心感 のようなもの

絶対的な安堵感 のようなもの

もうそれだけで
お腹いっぱい じゅうぶんなんです



満月だからというわけではないですが

毎月ある満月というタイミングに
あ 満たされていたんだ
を感じてみるのも
いいのかもしれません



満月だから満ちたもの
ではなくて

満たされたなかにすでにあった
という

発見であり
思い出しのようなもの



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kitoma
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