諦め が あきらめられていく piece_vol.60
じわじわと溶かされていく
じわじわ しゅわしゅわ
ゆっくり周りの輪郭が消されていくかのように
「こうであったはずの自分」が
解かされ 溶かされ
「わたくし、こういう者です」が
消えようとしている
そして
消される恐怖に
一生懸命足掻いて
なんとか踏みとどまれないかと
お得意のスペシャルを出してきたり
頑張ろうとはしてるけれど
もうそれに全面的には乗れなくて
ああやってるなと
どこかで眺めてる
スペシャル出した後の
違和感を味わってみると
もうやっぱり違っていて
"この自分"ではやっていけないな
という確信だけが深まる
すまんな
やっぱり"その自分"は
もう違うみたいなんだ
そう自分に伝えて
いまいまの
心地よさのジブンに戻る
諦めきれない あきらめ が
足掻いている
そしてそれも
やがて消えていくのを
知っている
何も変わらないし
そうなんだと思い込む必要もないし
ただただ 場 に
浸透していくのを眺めているような
そんな ゆっくりさ のなか
なんとも言えない哀しさと
同時にどこかで安堵感と
そんなものを
味わったりしてる
いましか出てこない
不思議な感覚
ああそうか
こうやって今まで
自分のストーリーを作り出して来たんだな
そこに
思い込みや習慣や
自分とはこうあるべきという思いや
色んなものが絡み合って
それを強固にして
あたかもそうであるかのように
それこそが正しいかのように
自分というストーリーを
作り出していたんだな
スパッとわかって
切り替えてしまう時もあるし
こうやってじわじわと
ひっくり返っていく時もあるんだな
こんなもん観せられても
と思うけど
この身体を使って
その流れを体感させられて
まるで絵本をめくるように
自分のストーリーが紡がれる流れを
自分がやりながら
ジブンが眺める
たぶん勢いづいてる時はできない
いまだから観れたこと
そしてこれも
ひとつの「点」となる
ひとりの人のなかでも
本当に色んなパターンがあって
どれが合ってるとか正しいとか
そんなものもなくて
だから
外からの知識は
ホントに目安にしかならなくて
こうなったらとか
この前こうだったからとか
そんなものも
ないんだろうな
その時その時
それに合ったものが
見事なタイミングで
ただ 流れてくから
自分はこういうものと
要塞をつくってしまうと
それに合ったものしか
流れとして観ることができない
ものすごく広く大きな流れだとしても
観えるのは要塞の中の流れだけ
なんだろな
感覚が
言葉にのるのは
ほんの一瞬で
それを逃すと
もう消えてしまう
いまのこの感覚も
ひと晩寝たら染み込みきって
すっかり忘れて
違うナニカに変わっているんだろ
人それぞれの
個性や特質というものをとおして
こうやって
色んなものが現されて
同じものでも
その通るフィルターの違いで
何千何万と
無限に輝きがひろがって
流れが
流れていくのね
そこに
「自分」は
いないのね
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。