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なんとなくの明治神宮
どうしても年内に明治神宮に参拝したくて行ってきた。ここは神様をまつっている訳ではないので何で行きたくなるのかは分からないけど、ここ数年は行きたくなったら参拝させてもらってる。
明治神宮前〈原宿〉駅から一の鳥居をくぐると、そこから空気は変わる。凛とした澄んだ空気。独特。いつも平日に行くようにしてるのだけど、それにしても人が少ない。確か前回来たときは外国の方が多くて、あちらこちらで違う言語が飛び交ってた。人混み苦手な私にはとてもありがたいのだけど、ここまで人出のないのは初めてみた。
南参道入口から本殿まで10分弱。そこまでの道のりも両側に生い茂る樹木がとにかく気持ちいい。
まだ紅葉がとても綺麗で
いつ来てもここは本当に東京のど真ん中なのかと思ってしまう。なんたって隣は原宿だし。
鳥居をくぐるごとに空気感は変わる。
こちらは大鳥居(二の鳥居)。
三の鳥居をくぐり本殿内の敷地に足を踏み入れるともうなんて言うか。何であんなに澄んでいるのだろう。
夏だろうが冬だろうが、とにかく空気が澄んでいる。どれだけ参拝者が居ようとも。
本殿内も人がまばらで、ゆっくりご挨拶させて貰うことができた。
本殿入り口両脇にはとても大きな御神木が在るのだけど、これがまたものすごく気持ちが良い樹で、いつも参拝のあとはしばらくここでぼーっとする。
この楠は本殿向かって右側のもの。この下は祈願絵馬に囲まれてる。
左側には縁結びで有名な「夫婦楠」があり、そちらの方が柔らかさを感じる。私は右側の楠の方が好きで、毎回間近まで寄って心地よさを分けて頂いてる。いや、本当に気持ちいいんだから。あんな楠の廻りに掲げられた絵馬じゃ願い叶っちゃうでしょという感じ。
心ゆくまで心地好さを堪能し、エネルギーチャージして貰ったところで振り返ると素敵な空が。
社務所側に行くとお守りやお札があり、なんとなくおみくじを引いてみる。御神籤(おみくじ)って占い的に捉えてる人も多いけど、伺ったその時その瞬間のメッセージと言うか真言というか、未来を言っているのではなく、今の貴方の状態はこうですよと教えてくれてる気がするんたけどなあ。
明治神宮は神様ではないので「大御心」というお言葉が書かれてるもの。
今までどこでも引いたことのない番号を引いて驚き、内容は今の私にとってとても嬉しいものだった。ありがとうございます。
ちなみにここで働かれてる方々は、どなたも気持ちがいい。お巫女さん・社務所の方・警備の方・樹木の整備管理してる方・売店の方もあちらこちらお掃除されてる方も。不思議と今まで一度も嫌な感じを受けたことがない。そういった方が集まるのかな。すごいな。
神宮内散策したい気にかられるもそろそろ陽が落ちてきてることもあり、諦めて元の参道へ戻る道へと進む。
ちなみに毎回そう思っており、それこそ1日かけて杜の中ぐるぐるしたいのだけど、いまだ実現させていない。いつ来てもどうしても本殿内に居る時間が長過ぎるのと、本殿参拝するとなんか満足しちゃって他に足が向かない。
でも本当にここはどの道通っても気持ちがいい。樹が生きてる。いやどこの場所でも樹は生きてるのだけど、何というかちょっと違う。
参道両脇の樹木だけでもこうなのだから、奥入ったらどれだけなんだろう。
生命って感じ。
東京だからそう感じるのかもしれない。もっと山々があり樹木がたくさんある所ならば、みんなそうなのかもしれない。
見上げる空もとても綺麗で
嬉しくなって
おヒカリさまも輝いてくれた。
楽しそう。
べつだん理由もなく行ってきたけど、やっぱりスッキリする。
ここ数年正月三が日に初詣はせず、年明けてしばらくしてから行くことが多い。その代わりではないけど、年の暮れにやはり気の向いた所へお参りさせていただき、一年のお礼を伝える。
私にとって神社はお願いする場ではなく、たぶんいつ何時も八百万の神はじめ何かしらにはお世話になっていると思うので、いまこう在れることへの感謝を伝える場だ。
あー、お願いは日々の中で誰にともなくぼろっと呟くようにしょっちゅうしてるから、神社ではそのお礼をしてるのかもしれないな。
神社がどーのとかまつられてる神様がどーのとかまあ色々あるけど、私は神社へ行くと気持ちが良いから好きだし、そこの神様がどなたかとかあまり気にしない。その場にお邪魔することにはなるので「こんちわー」とご挨拶はさせて頂く。
「神様」なんて名前が付くとなんだかすごそうだけど、仰々しく敬い奉るものでもない気がするし、お気軽フレンドリーでもいいんじゃないかな。
自分の中に無いものは感じられないと言われる。美しいものをみて美しいと思えるのは、その人の中にそれに反応するものがあるからだと。
ならば、神社へ行って清々しさを感じるなら私の中にもそれはあるのだろうし、行きたくなるときは、元からあるそれが弱くなってたり詰まってたりしてるのかもしれない。元からあって反応鈍くなってるなら、神様でもなんかよく分からないものでも、自分が心地好いならその場に行ってスッキリさせて貰えばいい。
参道は「産道」だとどこかで聞いた気がする。
産道を通ってお参りさせて頂くのは、本来の自分に会いに行ってるのかもしれない。
本殿には鏡が祀られている。鏡には自らがうつしだされる。様々な書物にも書かれてるけど、神様にお参りすると言うことは、自らにお参りしてること。「かがみ」の「我(が)」を取った「かみ」に会いに行く。
なるほどなと思う。
今日も愉しきヨキ日だった。
ありがたい。
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