あらたが流れはじめてる
クリスマスイヴが過ぎたら
もう来年の空気になっていて
クリスマス本番はどこかへ行き
わたしの中は何故かもう
来年になっている
言葉をかえれば
来年からの生き方であろうエネルギーが
もう充満してて
意識スイッチがちょっと違っていて
いままで を身体が追随しつつ
意識が いままでないもの に向いてて
ちょっと 面白い
だから
身体でやってみて
意識と合わなくて
ああこれ これから違うのねとなり
意識に意識を合わせると
何やら ああそうか が
訪れる
それは
本当に些細な事だったりで
ちいさい小さい事なのだけど
たぶんその小さい目の前のことから
ひとつずつ丁寧に切り替えていくのが
いちばん最短なんじゃないのかな
だから焦る必要もなく
淡々と自分を観る
年末の慌ただしさで
時々ポーン!とどこか行っちゃうけど
帰ってこーい と呼び戻して
また淡々と
でも 愉しみながら
もうひとつ最近可笑しいのは
目の前の現実物語が
だいぶ荒くなってきてるのか
時々辻褄が合わなくなってきたり
あまりに急展開で180度変わっちゃったり
ドップリはまる前に
なんだか絵空事のような空気感が流れて
あれ? となったりする
ここにきて感じるのは
自我ちゃんの大好物バージョンで
あれこれ仕掛けてくるようになってきたなと
その人の多分いちばん弱い所
うずく所 揺さぶられる所 らに
ピンポイントでずーんと打って来て
しかも少し前の時のように
オブラートに包んだりせず
突然やってくるもんだから
かなりのハカイ力はあるかもしれない
なのだけど
見方によっては
そこまで直接的になってきたのは
それだけ守りたいわけで
あら 結構ハカイ進んでたのねと
呑気にふふふと笑ってみたりする
そしてそれらが
絵空事もどきモードと合い絡まって
なんとも面白い空気感になっているのが
いま
おそらく
年明けからガラリと分かりやすく
空気感(エネルギー)が変わるんだと感じる
そのまえの禊ではないけれど
今年 に 置いていくものは
もう来年は要らないねと
認識して意図して持って行かない
というような作業が
自然な形で行われているのかもしれない
来年からは
あいまい が
自分の中で心地よくないかも
しれません
この あいまい は
日本人のよいところでもあるのですが
それをなくせと言うのではなく
今までの古き時代の産物を
あいまい で持ち続けることが
たぶん出来なくなります
これは 自分のなかのこと なので
もう新しいじぶんで観えてきてるのに
それでも古きを持ち続けてたりすると
今まで以上に違和感が
感じられるかもしれません
なあなあで
まわりに合わせて
何となくうやむやに
流してきたもの
そこに じぶんはこうだ という
色が決まることで
合わせる必要もなく
あなたの色はそれなのね
わたしの色はこれなの と
お互いの色を認めあえ
それで成り立ってしまう
そんな感じ
ここで
以前がこうだったから を
強く握りしめてると
もしかしたら というtryをやらないから
もったいないかも
今は面白いくらい
以前と違う が出てくるので
前にすったもんだあったものほど
一回tryしてみると
面白いんだよなーとか
思ってしまいます
もうコワサは必要ないんで
遊び感覚で
来年の空気が
なんだか楽し気です
結構ハードみたいですが
もうみんな軽くなって来てるので
それをお楽しみに変えちゃって
すーっと流れていくのかもしれません
もう
重くはいられない
時代になっているようです
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。