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生命について考えたいことがある
先日、異文化のニュースを見て驚いたことがあった。
その記事には、犬を食べるお国の犬を"救出"して海外で里親を探す活動を、動物愛護団体がしているという内容。大変劣悪な環境で犬は飼育されており、それはもう情緒をかき乱すような文脈だった。
ほうほうなるほど。大変驚いた。愛護とは名ばかりの盗人だと思った。お祭りに出す予定の犬を無理矢理掻っ攫ったのだろうかと心配になった。家畜を奪われた人間はどんな気持ちだったのだろう。
劣悪な環境で飼育をするのは確かに芳しく無い。どんな事も環境というものが相互に関わり合って現実が決まるものだ。それならば飼育環境を改善するための指導を行えばいいのではないか?教えてもらわないと出来ないこと、補助がないと取り組めない事もある。頭ごなしによくないと決めつけて、強引に奪うのはなんかちょっと違うんじゃないかと思ってしまう。
まぁ、強奪の理由はただ犬が“かわいい“とか”かわいそう”とかそういう理由なだけなのだろうけど。もちろん私も犬はかわいくて好きだし毎日YouTubeでgfgf言いながら癒されてる身だし、食べようとも思わない。だけどそれは単純に私が興味ないから食べないと選択してるだけ。日本で一般的に流通してる食肉は、美味しいから食べてる。例えかわいくて癒される存在だとしても。
ヴィーガンについても思うところがある。別に否定するわけではない。取り組むのは間違いなんかじゃないし、そういう人が周りにいたら全力で協力する。信仰によって食さないものだってあるし、とにかくその人の大切なものは尊重したい。
ただ妄想癖の自分としてはひとつ気になることがあるの。これは本当に癖(へき)のある変わった野郎の戯言だと思って欲しい。
人間て動物に対して随分と熱心に考えているけど、植物に対してはどう考えてるのかな?もしね、植物に意識や思考があると知ったら、食される目前で実は恐怖を感じているとか、炒めたら痛みを感じていて、死んでいる状態に変わっているなんてことがあるとすれば、みんなどうするのかな。そんな事ないんだろうけど、まだ人間がそのことを知らないだけかもしれないじゃない。
そうなると、摂取するものが相当数減るのよ。当たり前に。植物に苦しみを与えてると知ったらショックだと思うし。もしかしたら大切な神様が宿っているのに、神様噛み殺してると思ったら自分は何者なんだろうと震えないのかな。己の生命を維持する養分の選択肢が無いと気がついた瞬間、その人は何を摂取しようと思うのだろう。或いは何か摂取することをやめてしまうのだろうか。だとしたらその人は“生命”であることもやめなければならない。
と言うのが素朴な疑問なのです。
人間は生命についてどこまで向き合っているんだろう。例えば誰かが自ら“生命”であることをやめたとして、その人の意思であるならば尊重されてもいいかもしれない。尊厳死という言葉があるぐらいだし。厄介(なのかどうかはわからないけど)なのは当事者では無い誰かが情緒を掻き乱されることだから、そちら側に立った時いかに自分の身を守れるかだと思う。自分の心身大切にしようと心がけたらいい。難しくても気にかけるぐらいしてもいい。自分が自分に。
所詮欲によって動かされる“動物”なのだから、その時代時代の変化にしがみついて生きるのか、やめるのか、どうするのかは自分次第なんじゃ無いかなと思います。
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