ところで遺伝子の遺伝あるなしにかかわらず自己の核となるようなものは伝承されるものなのかどうなのかを問いたい。
中・高生のころは神威楽斗に入信していた。だからわたしも同じような言動をしたくて
「自分の遺伝子を残すなんて、自分みたいなのがもう一人できるなんて、子供がかわいそうだ!」
などとイキり散らかしていた(´Д`)今思えばなんと安易な考えというか言動というか。それに加えてさらにイッチョマエなことまで公言している。
「もしまかり間違って、子供を育てたいと思うことがあるならば、40歳ぐらいまでに社会的に自立していたなら、自分の遺伝子を含んでいない里子を迎え入れて育てようと思う。」
これも安易だ。軽い責任転換のにおいまでする。まったく、高校生ごときが何をイキり散らかしとるのか。けしからん。そんなふうに思うもうすぐ34歳。正直なところ、あの日からあまり変わっていない。今もってけしからん。
とはいえ、あの時イキり散らかした公言については、ここ数年真剣に考えていたりもする。これもエゴなのだが、『お母さん』という精神力がほしい。『お母さん』はとんでもない人間だ。話すと長いので割愛するけど、とにかく『お母さん』を尊敬している。自分もそんな人間になりたい。
『お母さん』になるには、子供を養いながら、子供に育ててもらわねばならない。自分一人では手に入れることができない。子供は偉大な先生である。先生に教えを乞わねばならない。だからしばらく先生を探しているけれど、どうにも見つからないのでいよいよ公言が現実味を帯びてきた、といったところだ。
わたしがSiaのように、家族という喜びを味わえる日は来るだろうか。そう思いながらかすめることもできない『先生』を探している。
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