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純ドメ、TOEFL97点、ニューヨークで英語でミュージカル書くって可能?
「今日はどんな恥を描くんだろう」
これが、ニューヨーク大学院のミュージカルライティング専攻に通っていた最初の1年、私が朝起きて最初に思うことだった。
そう、帰国子女でもなく、そもそも英語は苦手科目な私が、英語でミュージカル書くなんて、普通に考えれば不可能。
2020年9月、29歳の私はニューヨークの芸術大学院に留学し、ミュージカルの作詞脚本を学んでいた。なぜミュージカルの作詞脚本をやろうと思ったか、理由は簡単、ニューヨークに住みたくて、住むなら昔から好きだったミュージカルに関わる何かが学びたくて、直感的に「物語なら書けそう」と思ってしまったから。それまでミュージカル作った経験はもちろん、脚本も作詞も書いたことなく、大学院入試のために初めて作った作品が記念すべき処女作。
奇跡的に試験には合格、でも人生そんなに甘くない。
大学院が始まってから、いつ退学を言い渡されるかを恐れる毎日だった。
原因は2つ。
1つは、作詞脚本以前に、大学院の授業について行く英語力がない。9割英語ネイティブのクラスは、みんなが喋る英語がめちゃくちゃ早い。何言っているか全くわからない。質問されてるのか、説明されているのかもわからない。
2つ目は、私がミュージカルのことを全然知らない。私は日本で公演されたミュージカルは大体見ていたため知っている気になっていたが、当たり前だけれど日本には来てなくてもアメリカでは有名な作品なんて五万とある。授業で「あの作品のこのキャラクターが・・・」と教授が丁寧に例を出して説明してくれても、その作品を知らないから全く何の話かわからない。Wikipediaで調べてる間に、話題は変わっている。
この致命的な2つの理由により、29歳の私は毎回授業が終わるたびに留学を選んだ自分を呪い夜な夜な涙する。。
何より辛いのは、私の学部は自分でできる作業がなく、必ず作曲家の子とペアになって課題をやらなければいけないこと。私が作詞とセリフを書き、作曲家が音楽をつけ、2人で毎週ミュージカルの1シーンと1曲を作って発表し、教授とクラスメイトから批評をもらう。
申し訳なくて悔しくて辛かったのは、毎回私の英語の歌詞の意味がわからないから、私の英語への指摘がメインとなり、音楽の批評に辿り着く前に時間が来てしまう。せっかく一緒に作ってくれた作曲家の子が、私のせいで何もフィードバックをもらえずに授業が終了してしまうのだ。
私は、この週に1度やってくる発表の日前日はいつも寝られなかったし、お腹が痛かったし、批評が終わると家で泣いていた。
あぁ、私がミュージカル書くなんて不可能なんだ、学費払っちゃったけど返金対応とかあるのかな、、、留学のために辞めた会社、謝ればもう一度雇ってくれないかな、、、そんなことばかり考えていた。
でも、ある教授が少しだけ、私をポジティブにしてくれた。
大学院が始まって3週間ほど経ち、徐々に恥をかくことに慣れてきた頃、授業で出された課題がいまいち何をすればいいかわからず、教授に質問した。
すると、教授は
「あなた以外の人は理解できているから、授業後に説明します。」
といい、その日から、毎週私と教授の居残り個人授業が始まった。
教授は、英語作詞のルール、作品の分析の仕方、曲のジャンル、見ておくべきミュージカルなどを丁寧に教えてくれ、時に理解の遅い私のせいで居残り授業は深夜まで及んだ。この時間で、本来であれば入学前に知っておくべきミュージカルライターの基礎知識をようやく学ぶことができた。
引き続き、私の書く英語は酷かったし、授業を理解するのも大変だったけれど、見捨てずに教えてくれる教授がいるなら、何とか食らいついていこうとようやく前向きになれた。そして、今までは天才の"感覚とひらめき"によって作られていると思っていたブロードウェイミュージカルが、論理的なメソッドに基づいて作詞作曲や脚本作りが行われているということに感動し、どんどん書くことに夢中になっていった。
ようやくスイッチが入った私は、もっと英語の精度をあげたいと思い、ネイティブの友達に週1で英語の授業をお願いした。たまたまその友達もシンガーソングライターだったため、どの単語を使ったらもっと詩的になるとか、歌詞っぽくなる言い回しをアドバイスしてくれた。この友人の存在は奇跡でしかなく、どんなに忙しい時も、”楽しいから"という理由で私の書いた大量の歌詞とセリフを添削し、丁寧にアドバイスしてくれた。彼がいたおかげでようやく歌詞らしい英語が書けるようになった。
ここからも、約2年間山あり谷ありだったけれど、2022年7月時点で私は大学院は卒業し、1つ長編ミュージカルを書き上げ、1つの戯曲がフェスティバルで選ばれてニューヨークで公演され、今も英語のミュージカルライターと名乗りながら何とか(本当に何とか・・・)ニューヨークで生きている。
純ドメ、TOEFL97点でも、ニューヨークでミュージカルを書くことはできた。
それは私の力ではなく、私を信じて助けてくれる教授や友人やクラスメイトに恵まれたから。
でも、せっかくなので少しだけ私の中にミュージカルを書けた理由があるとしたら、寝るよりもご飯食べるよりもミュージカルを観たり書いたりすることが好きで、そのためなら恥ずかしがらず (迷惑をかけても気にせず)人を頼れたからかもしれない。