村崎百郎の言霊21
<『魁・鬼畜塾』 第10回 もう一つのJ文学 犯罪青年の主張を完全妄想電波解読!>
日本文学の若手の作品を総称して「J文学」と呼ぶらしいが、それならば世間を騒がす犯罪者たちが学生時代に書いた作文も立派なJ文学であるはず だ! 犯罪報道が我々ドゲス視聴者どもの単なるひまつぶしの娯楽になり下がっている現在、犯罪者たちが書いた作文を文芸作品として読み解くことは、彼らの 抱える心の闇を理解する上でも、彼らの卑劣極まりない犯罪を細部まで克明に妄想するためにも、非常に有意義な試みであることは言うまでもない。そこで今回 の鬼畜塾は、最近話題の二つの鬼畜事件の犯人たちの“作品”を徹底的に電波妄想解読する! 塾生諸君も妄想力を全開にして俺について来い!
総評○最近話題の2つの鬼畜犯罪について
しかし今年は凄い事件が続くねえ。
「新潟少女監禁事件発覚」と「京都小学生殺人事件の容疑者自殺」の事件報道は、見どころと妄想のしどころがありすぎて、さすがの俺でも連日連夜、日本全国の善良な皆さんの妄想電波に応対しきれなくてタマンねえぜ馬鹿野郎。
特に新潟の少女監禁事件の方は、事実上、日本全国に数千万は生息するというロリコン変態どもに大きな夢と希望とロマンと格好のズリネタを提供した形になっ て、事件報道のあり方自体が問い直される深刻な問題だったにもかかわらず、誰も面と向かってそれについて発言するメディアが無かったのは嘆かわしいねえ。
スカしきった進歩的な知識人どもは黙ってこっそり裏で妄想してるんだろうが、チンポ的な痴識人の俺は黙らねえんだよ馬鹿野郎!真性鬼畜電波系の俺には、犯 人が少女に「したこと&したかったけどできなかったプレイ」の全てが勝手に全部見えちゃうからたまんねえぜベイビー。
でもなあ塾生諸君、あの事件の報道を 見て「少女が9年間の監禁生活の中で一体どういう性的虐待を受けたのか?」という疑問に対して興味本位にあれこれ勝手に妄想して興奮し、チンポ立ててズリ センこいた奴が全国に一人もいなかったなんて決して思うなよな。
人間なんてそんなにキレイなもんじゃねえからな。この事件に関しては、「ホントに人間っ て、ここまでヒドい妄想ができんのかな」って、鬼畜の俺でもあきれるような凄い妄想が今現在も列島をかけ巡ってるんだよ。これは「事件報道が犯人以上に被 害者や家族を傷つける」良い例なので、みんなもこの事件の経過はこの先もずっと注目しておけよ。
良識ある市民の皆さんはムカつくかもしれないが、逮捕され たが現在の日本の刑法では長くても懲役5年と言われる犯人の佐藤宣行が、出所後に「ロリコン文化人」としてメディアの人気者になるのはまず確実だろう。佐藤が刑期を終えて晴れて出所してきたら、手始めにどこかの鬼畜編集者が、被害者や家族の心の痛みをまるごと無視して「ジャーナリズム」の名のもとに、佐藤 に「性的虐待部分をねちっこく克明に描いた9年間の少女監禁&調教日記」を執筆させて出版するだろう。
タイトルは佐藤が卒業の寄せ書きに書いた言葉の『愛 ひとすじ』かねえ? 売れたら続刊で『二人の愛の飼育日記』、『実線少女監禁&調教&飼育法』、『女はこうやって従わせろ』、『こんなに楽しい少女監 禁』、『女を飼えば競馬も分かる――少女監禁競馬必勝法』なんて本が、ガンガンと出まくりだ。当然、TVや雑誌でも引っ張りだこで「オレとアレ(少女のこ と)は本当に愛し合っていた」「あの日に返りたい」なんて勝手なことを偉そうにしゃべりまくるに違いない。そんな状況になったら、被害者の女性はいたたま れず、とても日本に住めなくなるよな。
でもまあ日本のジャーナリズムや出版界ってのは平気でそういう事がやれちゃう鬼畜なゲス野郎がわんさかいるから、多 分この話は実現するぜ。 そして、京都小学生殺人事件の方は、犯行が陰惨な上に「容疑者の自殺」という何ともスッキリしない結果に終わった謎の多い事件だったが、この2つの鬼畜 事件には興味深い共通点いくつかある。どちらの犯人も社会性や協調性に乏しく、どちらかといえば社会的弱者タイプの「引きこもり」青年だったこと。
どちら の事件の被害者も、犯人よりも更に弱い存在の小学生だったこと。そして、どちらの事件も結果的に所轄の警察の捜査のズサンさや対応のマズさやすぐにバレる 嘘が次々と露見して、国民の警察への信頼を大きく失墜させたことだ。
鬼畜の俺が言うのも何だが、こんなコトでいいのかねえ? 次の戦争で勝てるかどうかマ ジで心配になってきちまったぜ!
★新潟少女監禁事件の佐藤宣行
『しんだうぐいす』さとう のぶゆき(小学校の卒業文集より)
ぼくのうちのうぐいすは、おとうさんに、とてもかわいがられていました。おとうさんは、あさおきると、すぐえさつくりをします。あおいなをすったり、お さかなのこなをすってつくります。まだ、おせわがたくさんありました。だけど、まい日やりました。ぼくもお手つだいをしました。 うぐいすは、とてもよろこんでいるようでした。とまり木からとまり木にうつったりして、まい日、かごの中であそんでいました。
ある日みずあびをしているとき、うぐいすがにげてしまいました。いつかえってくるかとしんばいでした。 三日めのあさがきて、よいくうきをすおうとおもって、そとへでてみると、うぐいすが、よこになっていしんでいました。おとうさんは、「おおごとをした。」といいました、ぼくはしんだうぐいすを、あなをほってうめました。
○作品観賞&解釈
監禁されていた少女が「しんだうぐいす」にならなくて本当に良かったねえ。同じロリコン犯罪でも、幼女連続殺人の犯人の宮崎勤と、9年間の監禁で少女の 青春を奪い、深いトラウマを与えて少女を男性恐怖症(この先、一生まともな恋愛ができないかもしれない)にした佐藤と、どちらが鬼畜度が高いか「朝まで生 テレビ」で議論でもしてもらいたいもんだが、この作品からは冷静な目で黙ってうぐいすを観察する佐藤の「コレクター体質」が実に良く読み取れる。ここでは 佐藤が事実のみを淡々と記述し、いなくなったうぐいすを心配する部分はあるが、死んだうぐいすについて「悲しい」とか「可哀相だ」などといった同情や哀悼 の表現が一切書かれていないことに注目しよう。
「心配した」というが、それは「一生懸命うぐいすの世話をしていた父親の心情を思っての心配」であって、 「うぐいすそのものへ対する心配」でないことは、「いつかえってくるかとしんばいでした」と書いていることからも明らかだ。普通、うぐいすの心配をするな ら「ちゃんとえさを食べているか心配です」のような表現をするものではないだろうか? こういう所にも他者の心情を思いやる心が全くない佐藤の身勝手な性 格が良く出ているといえるだろう……というのは後から何とでも言えるヘタな解釈の一つだが、この作品で我々が最も注目すべき部分は、前半部分にぽつりと書 かれている「まい日やりました」の一行だ。「まい日やりました」ハイハイ、んなこたあ言われなくても分かってンだよ馬鹿野郎。
毎日やったに決まってンだ ろ!俺だって熟れてあそこのシマリの良さそうな人妻を監禁したら絶対に「まい日やります」って!それも時間が許せば一日最低三回以上なあ!こんなことを小 学6年生で堂々と書いてんだから全く末恐ろしいエロガキだぜ。みんなもこの一行から全てを妄想して読み取れよ!「まい日やりました」あ~本当に恐ろしくて イヤラシイ作品だぜ!
『三年間をとおして…』佐藤宣行(中学校の卒業文集より)
僕の中学生生活は、どこかものたりないつまらないものだった。 一年生だった頃、両親に勧められて、好きでもない庭球部に入った。でも、その庭球部も、入ってまもなく退部した。その理由は練習をさぼったために、罰と して校舎の周りを、百二十五周しろといわれたからだ。百二十五周、と、口で言うのは簡単だけど、当時の校舎で、一周二百メートルとしても、二十五キロはあ る。その時、十二歳だった僕に、その二十五キロを走れただろうか?。それに、このころの僕は、体力のない、いわゆるヤサ男だったから、気の遠くなるような 百二十五周の言葉を聞いた時、迷わず退部を決意した。自分に悔いはなかっただろうと思う。入部する時からのり気じゃなかったんだから。
一年が過ぎ、二年になった。一年生の時に部活をやめてから、僕は他の部には入らず、ブラブラしていた。そのころの僕は他の部に興味がもてなかったから だ。そして三年生になり、野球に興味をもち、バッテイングセンターに、通ったり、器械体操に興味をもって、減量した事もあったが、こうして、三年間をとお してふりかえってみると、おもしろかったようだが、いやな事ばかりの三年間だった…………。
○作品観賞&解釈
これほど直接的で恐ろしい作品も珍しいので以下に妄想電波語による翻訳を掲載する。とにかく読んでくれ!
「オレの中坊時代の性生活は、まんこ一つ楽しめねえツマンネエもんだった。
くそダセえことに学校にはロリコン部も監禁部も性的虐待部も異常性愛部ねえんだから、全くイヤになっちまうぜ。んでもって仕方なく好きでもねえクソたれ 低級庭球部に入ったけど、そこはすぐに退部した。思い出すのもウゼえんだが、クソたれ低級庭球部のチンカス部長の野郎、たったの一回練習をサボったぐらい で、罰として俺に百二十五回もけつを犯らせるか、イクまで他の部員のチンポをシャブれって言うんだぜ! 百二十五回って口で言うのは簡単だけど、実際に シャブるのは大変だぞ~。
一回イカせるのに最短で10分かかるとして、最低でも千二百五十分もかかるじゃねえか!何でチンポ汁が出始めて間もない十二歳の オレがそんなに長時間も他人のチンポくわえなきゃなんねえんだよ馬鹿野郎!オレはその頃から体力のねえ根性ナシだったから、気の遠くなるような「百二十五 回の尺八」って言葉を聞いて迷わず退部を決意したね。何?悔いなんかあるわけねだろ馬鹿野郎!何度も言うようだけど、オレが本当に入りたかったのは超変態 ロリコン性愛部だったんだよ。いま思うと、一人でも同好会から始めときゃ良かったんだな、うん。
そして一年が過ぎ、二年になった。部活をやめてからのオレは他の部へは入らず、いつも校内を下半身まる出しにしてチンポをブラブラさせてたね。まんこや チンポやロリコンとは何の関係もねえ普通の部活動には何の興味も持てなかったからだ。そして三年生になり、ロリータ強姦に興味を持ち、バッテイングおまん こセンターに通ったり、アナル調教器械体操をやったりしたけど、所詮センズリはセンズリだ。しかしまあ、こうして三年間を振り返ってみると、ナマの女のま んこに一発もキメらなかったんだから、情けねえ三年間だったよな。けどまあ、俺の人生もこれからだ。これからオレは思いきりヤリたいコトをヤリたいオンナ にやったるぜえええええ!」ってなもんだ。こいつ一体何様だァ?
★京都小学生殺人事件の岡村浩昌
『大文字駅伝大会』岡村浩昌(小学校の卒業文集より)
十一月が半分以上すぎた日に持久走といっしょに大文字駅伝の話が出て100m走や幅とびより得意な競技のマサソンだったから出場することにしました。
練習は半分は、いろいろな運動をし、半分は練習でした。持久走の日は現地に行くと、かも川の周りをみんなが走っていました。ぼくは本番がすぐきてスタートしました。走った組で三位で約六分三十秒で千七百mを走りました。 駅伝の時は、五人一組で出場し、全員で五位に入り三十一分五秒でした。ついに、大文字駅伝の日がきました。一区がスタートしたと聞くと、きんちょうしま した。三区の○○さんからたすきを受けとると約千八百mを走りました。××君にたすきを渡して、その後、みんなの集まっている所にバスで帰りました。 結果は11位で区間10位でした。あと一人抜いていれば目標にしていた10位だったのに。残念です。参加賞はうれしかったです。
○作品観賞&解釈
八つ当たりで幼い子供を虐殺した犯行自体は決して誉められたものではないが、6人の刑事に囲まれていたにもかかわらず、それを振り切ってまんまと逃げて 自殺した岡村は「最後まで警察に捕まらなかった」という点で、実にあっぱれな犯罪者として新潟の佐藤よりもずっと評価できる。岡村はオール4か5の秀才 だったそうだが、この作品を読んでいると優秀な陸上競技者としての岡村の方が「本来の岡村」であったのではないかという気になってくるから不思議なものだ。
文面からも分かる通り、彼の本質はひ弱な受験生などではなく、記録や順位にこだわる根っからの「競技者」だったのだ。犯行動機について学校への不満が どうのと取りざたされているが、あんなものは犯罪者が捜査を撹乱させるためにつく様々な嘘のうちの一つに過ぎない。ただ、マスコミ的には「親や学校や社会 に不満があって起きた犯罪」であってくれた方が絶対に視聴者ウケがいいし、報道のしがいもあるので、何としても動機をそちらの方へ向けたがるのだ。
ワイド ショーでは、この種のイカサマの尻馬に乗って商売上手な教育評論家(クズなうえにゲス)や心理学者(キ○○イとほぼ同等のキ○○イ)が連日のように適当な コトをホザいているが、あんなものは無視しても流行に乗り遅れることは全くないから気にするな。この事件についての妄想電波的な真相を書いておくと、岡村 はある日思い立ってヒマつぶしに脳内電波インターネットの暗黒サイトが主催する、時空を超えた「全宇宙殺人競技大会」に京都代表(自選)で参加しただけな のだ。永遠の謎とされている「てるくはのる」とは「空は青い」、「チンポは立つ」、「まんこは良い」、「アナルは締まる」ということを意味する電波語で あって、それ以上の意味はないし、真面目に考えるだけ時間の無駄である。
そして、この作品で決して見落としてはいけないのは「ぼくは本番がすぐきてスタートしました」という部分であろう。本番ですぐにイッちまうのはセックス 経験の少ない若者に多い早漏の症例だが、それは、きん玉を冷やしたり、チンポを殴って鍛えたり、でかいペニスケースで女を威嚇するなど、個々人が自分に 合った工夫をすればいいだけの話である。
おそらく岡村は最初のセックスで挿入前に発射するなどの致命的な失敗をしたに違いない。ご承知の通り「足の速い奴 はイクのも速い」というのは大宇宙の定説であり、何の根拠もない全くのデタラメである。そう思うとこの作品は実に不条理で良く分からない。
『僕と青春』岡村浩昌(中学校の卒業文集より)
その日々は青い春だった。入学した時、春の暖かい日差しは青かった。中学の授業は先生が教科ごとに変わるので、一度も寝むらず毎時間、集中して頑張っ た。中学には期末テストがあり一週間前には部活は中止してゆっくりと疲れをとる日があった。部活は野部部に入り頑張った。練習を毎日して野球の難しいとこ ろや楽しいことがわかった。一時、新聞をテープで丸めて打つ練習をするのがはやってよく残って練習もした。誰が見つけたのか、ごりょうさんへ行くのも百回 も二百回も行った。夏の公式戦で優勝できる実力がありながら、二回戦で負けた。悔しかったがいい思い出になった。
向島東は姉妹高もあって、兵馬俑が送られて来て、それはなかなかかっこいいんだなと思った。二年のとき遠足で飛鳥へ自転車でオリエンテーリングへ行って 迷子になりそうなくらいいろいろなところへ行っておもしろかった。向東祭の体育の部ではバンブーフォークなどオリンピックで採用できそうないろんな競技が あった。三年のときの綱引きは原澤先生のオーエスで引くと敵に引かれかけたが三勝一敗で二位だった。学級対抗リレーでは女子ですごくはやかった人がいたけ ど、ピースした変なやつもいた。組体操は三段の建物をつくるとき、下の一人が「今日はやけに重いな~」と頑張っていた。そして二組は総合優勝を(まんがで 正義が負けるくらい)奇跡的にできた。今、ふりかえると蚊を殺すくらい早かった中学だった。
○作品観賞&解釈
「その日々は青い春だった」などと、読むのもこっ恥かしい書き出しは、よくあるお安い歌謡曲の歌詞のようで実に味わい深い。岡村のうすっぺらな人生観と 人と成りが良く表現されていてグッドであると評価できる。この文章にはマラソン好きの人気作家の村上春樹との共通点などまるで感じないが、よく読むと岡村 が「学校教育に怨みや不満がある」と再三手紙や犯行声明などに書いていた「不満」の正体が見えてくるだろう。
確かにアナルセックスのアの字も教えない現在 の学校教育はおせじにも完璧とはいえないし、「ふざけるな!俺はまだアナルセックスを一度も習っていないんだぞ!そんな状態で卒業できるもんか!」と教師 たちに必死で抗議した岡村の怒りも痛いほど良く分かる。その時、校長が財布を出して自腹を切って万札3枚を岡村に握らせて「ワシらが悪かった。この金でヘ ルスに行って思う存分AF(アナルファック)をキメてくれ!」などと言って豪快に「男」を見せてくれていれば、今回のような悲しい事件は起きなかったかも しれないので残念だ。
そして、我々はこの作品タイトルに注目する必要がある。岡村はなぜ『僕の青春』と書かずに『僕と青春』書いたのだろう?『僕と青春』というタイトルでは 「僕」と「青春」のそれぞれが、まるで別物のように独立した存在に感じられて非常に不自然である。このタイトルからは、岡村がまるで「本来の自分を表に出 さず、常に仮面を被って“自分の青春”を生きていなかった」ように感じられるから恐ろしい。
ラストの「蚊を殺すくらい早かった」という言い回しも実に奇妙 である。ここは普通なら「萎えたチンポが再び立つぐらい早く」とか「べったりとシーツに付いたマン汁が乾くくらい早く」とか「黙って出したすかしっ屁が つ~んと激しくニオってくるぐらい早く」と書く所である。「蚊を殺すくらい早く」とは何と残酷で美しい表現なのだろう。こうして幼少期から常に極端に「速 度」にこだわった岡村は、自慢の俊足で刑事たちを見事に振り切り、蚊を殺すよりも早く死んでしまった。根拠など全くないが、彼が早熟で早漏だったことだけ は間違いないだろう。
☆村崎百郎<非公認>WEB より☆