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統合失調症の妄想について

noteで、病気の事ばかりを書くつもりはないのですが、やはり今の自分に書きやすいので、今回も統合失調症についての内容にします(noteに慣れて詩とかエッセイをもっと書いていきたいですが、まだ慣れていません)。

私は統合失調症という診断ですが、症状はお薬でおさえられているので、いわゆる病識もそんなにありません。でも病気になる前、会社員しながら自分は健康で一般的な暮らしをしてると思っていた頃とは、物の見方がかわりました。その事を書いてみようと思います。

統合失調症の症状は、私の場合は妄想だったのですが
「ある国が衛星を使って世界中の人々の脳波をハイジャックして監視しており、行動を意のままに操っている」というのと
「ある宗教団体が母親の母性を信心にむけてしまって子供たちが愛情をうけとれなくなってる」という二種類でした。

その事を人に言っても相手にされない事がわかる理性くらいは残っていましたので、一人で妄想して、誰にもだまっており、何年もその状態が続くことになりました。気づいていないふりして素知らぬ顔で暮らさねば!と思っていて、実際にそうして暮らしてました。私にとってはその妄想が現実の事なので、まるでSF映画の主人公になったのと同じ状況です。それは恐ろしくて、孤独で、辛い、長い時期でした。

もう何年も症状は治まっていますが、あの妄想内容はどこからきたのかしら?と現在なんとなく不思議に思ってます。15年ほど前の当時は、そんな妄想はSF映画の中だけの事でしたが、社会変化により、そんな事もとっぴな話とも思えない時代になってきたと思います。私はただ遠い未来を感じ取ったのかも知れないとすら思えます。

症状のあった当時「どこかに何とかしてくれる人がいるかも?」と妄想をブログに書き綴っていました。ちょっと面白い事に、狂ってるともいえる妄想内容のブログのほうが、現在の正気な私のしてるTwitterよりも反響がありました。

きっとそのブログをみた悪の組織の誰かが「しまった!ここに気づいてるやつがいるぞ」とあわてて、その計画を中止したのかも知れません。という事はつまり、私は統合失調症の妄想という形で世界を救ったのかもねー?というと、友達はみんなただの冗談と思うようですが、この発想はそんなにも強引なこじつけでもないと思います。私はちょっとだけくらいは、そう信じてます。それって障害者と名乗って、さまざまな福祉を受けていいのかなーとも思ったりします。

自分でもそんな体験をしたし、二度の入院や施設への入所などで、多くの患者友達の体験談なども聞きました。自分で関連の書籍を読んだりもしました。そして誰かに見張られてる!という妄想はよくある話なのだなという風に感じてます。現実に、情報化社会・監視社会になってきてる事もあわせて、その妄想をする人が多いなら「アンテナが人より敏感な人のする預言的な妄想なのでは?」と、やっぱりちょっとだけそう信じています。

そういった空想が好きな私です。
こんなふうに思う人もいると知っていただきましたら、嬉しいです。

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