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地域の魅力を再発見するために、ワーケーションを選択。暮らしに混じる多拠点生活をはじめました。

キッチハイク「ふるさと食体験の準備室」メンバーインタビュー、第3回目は事業開発の青木春隆(@harutaka_aoki)さんです。

「ふるさと食体験」で出会う地域の人とのつながりにおもしろさを感じたのがきっかけで、多拠点生活を始めた青木さん。なぜ地域を転々とするのか、また大学時代からキッチハイクにジョインするまでと、未来への希望について話を聞きました。

知り合いを通して、地域を渡り歩く暮らしをはじめた

―青木さんはいろいろな地域で暮らしているんですよね。

昨年新しくスタートした、「ふるさと食体験」の担当になったことがきっかけで、地域の暮らしを知ることの面白さを感じ、いろいろな地域を転々と暮らしてみることにしました。「ふるさと食体験」の面白さが人とのつながりにあると思っているので、尋ね先は人からの紹介を頼りに決めていくことにしました。このご時世なので観光はせず、大人しくおうちでリモートワークをしつつ、住人との共同生活を楽しんでいます。住民と仲良くなって暮らしが馴染んでくるのが1ヶ月くらいなのと、あまり転々としすぎるのは感染拡大リスクが増してしまうので、ひとつの場所には1ヶ月ほどの滞在を目安にしています。

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埼玉の鳩ヶ谷で、住民と家族のように親しく暮らす

―いちばん最初の拠点は、確か埼玉でしたよね。
そうなんです。東京を離れたのは今年の4月、埼玉県の鳩ヶ谷にあるゲストハウスに滞在しました。滞在場所は、友人のお姉さんが切り盛りする「風の森キッチン」。ホストが作ってくれるごはんが毎日それはもう楽しみな生活でした。全国の農家さんから取り寄せた野菜をたっぷり使ったメニューで、塩麹、糠漬け、味噌などたくさんの自家製発酵食品を合わせた料理が食卓に並びました。それを家族のように親しく暮らす住民のみんなといただきました。ホストの北海道の実家から送られてくる小さくてB級品のじゃがいも「ころいも」を、香ばしく揚げてナンプラーで甘酸っぱくしたものが美味しすぎて、みんなとおかわり争奪戦でした。

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風の森キッチンは、以前までは宿泊者が次々と訪れるため慌ただしく、暮らすような場所だと感じられず、コロナ前から徐々にいまの長期滞在者に寄り添ったスタイルになったようです。
住民の人がそれぞれ別の職を持ちながら、おうちの改装や畑を手入れしている様子に、時間をかけて仕込んでいく暮らしの豊かさを感じました。

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京都。観光地でも、つながりを通してまちを歩くと訪れる意味が立ち上がる

―その次は京都へ。
はい。次に滞在したのは、京都府京都市です。きっかけは、「ふるさと食体験」で料理人をしてくれているKanamiさんにゲストハウスNINIROOMをご紹介いただいたこと。

京都では滞在中、ゲストハウスのスタッフやキッチハイクの同僚にたくさんのおすすめの場所を教えてもらいました。行きたいところのリストは、スクロールしきれないほど長くなり、人から紹介されて回る街は「〇〇さんはどんなふうにこの街で過ごしていたんだろう」と、想像を膨らませました。紹介される場所は、ガイドブックには載っていないようなところばかり。観光は単なる答え合わせとなるからつまらないと言われますが、いわゆる観光地と呼ばれる地域でも、つながりを通してまちを歩くとその場所に訪れる意味が立ち上がる気がします。京都に住むのは初めてでしたが、その土地にいつでもおかえりと言ってくれる友だちもでき、じぶんにとっての特別な場所になりました。

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ー 知らない土地でも、友人が増えると地域との心の距離がぐっと縮まりますね。

「ふるさと食体験」も、知っているつもりでいた地域について全く知らないことに気づいたり、同じものを食べてもいただき方によって受け取り方が広がるところに、豊かさのエッセンスがあると思います。

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宮城県気仙沼の「おすそわけ文化」

―やっぱり「ふるさと食体験」で生まれた縁がどんどん広がってるんですね。今、滞在している宮城県気仙沼市の環境は、都会育ちの青木さんにとって、新鮮だったんじゃないですか?

はい、今はパートナーの地元である宮城県気仙沼市にいるのですが、都会で生まれて育ったじぶんには、海がそばにあること、車生活が当たり前のこと、地域の人がだいたい顔見知りのこと、空が開けていることなど、どれもはじめての環境でした。穏やかな潮風の吹くまちで外を歩けば気持ちがよく、田舎暮らしもいいかもというじぶんと出会えたのは新鮮でした。

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気仙沼には、「おすそわけ文化」があります。おすそわけの量が多くて、人からいただいたものを、さらにまた別の人におすそわけするほどです。ぼくも同居人と一緒に、地元の人にとうもろこしや手作りのカレーなどを何度かいただきました。次はぼくから周りの人におすそわけできるように、知り合いの農家さんのところで、多めに野菜を買っていきました。地元の人たちに混ざれた感じがして、とても嬉しい経験でした。先日は、東京オフィスにいるメンバーに、自分が経験した「おすそわけ文化」を体感してほしくて、今が旬のカツオとホヤを送りました。

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人とまちは合わせ鏡。地域とのつながりを見つめなおすことの意味

―青木さんが送ってくれたカツオとホヤもおいしかったです。いいところに住んでいるんだなと羨ましくて。

気仙沼市では、移住者が、また別の移住者を連れてきて、新しいコミュニティが広がってきたようです。地元の人から「震災後に、外からまちにきた人が気仙沼をよくしてくれている」と聞きました。外からきた人が気仙沼の魅力を見つけてくれて、じぶんたちが目立つよりも地元の人を立ててくれて、発信してくれるからこそ、じぶんもこのまちがすきだと自信がついた。そして、じぶんもこのまちで何かをしていきたいと。

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―人と人との交流が活発なんですね。面白そう。

いろいろな地域で、Uターンの人だけではなく、Iターンの人が多く活躍しているのも知りました。それもとても情熱を持っている人もいれば、なんとなくいい街だと思ったからという理由で関わりはじめた人もたくさんいました。半年のつもりが、もうずっと居続けているという人もいました。
ぼくは、東京というまちは誰でも受け入れてくれるところで、それがちょうどいいなと感じていたところがありました。そして地方で住むのには、それなりの理由がいるかのように勝手に思っていました。でも、もっと気軽に考えていいんだなということに気づきました。
このまち好きだなという気持ちで関わり続けることで、まちも変わっていきます。地域の人たちもまた、そうした気楽な関わり方を待っています。

―気仙沼、懐が深そうですね。

本当にそう思います。そう考えるのも、ぼくが台湾と日本のハーフで、生まれた数ヶ月だけ台湾で過ごし、あとは日本で育ったという背景があるからかもしれません。幼いときから「なぜ日本人はこうなの…」と台湾出身である母親が嘆くのを側でよく聞いていました。母親も日本を選んで来たわけですが、それでも文化の違いで周囲と衝突することがたくさんあったのだと思います。ぼくは日本で育つじぶんの心が日本人らしさにどんどん占められていくのを自覚しながら、それを肯定も否定もできずにいました。
誰と過ごすか、どこに住むかによって、人は変わる生き物だと思います。いまでは環境に対してもじぶんで責任を持つということが大人なのだと思っています。ふるさと食体験やこの多拠点生活で、環境に対する選択肢がさらに広がったのを感じます。

―どこで誰とどう過ごすか、コロナ禍ではいっそう意識しますよね。そろそろ、次の拠点のことも考えているんですか?

1ヶ月程度の滞在でなぞれるのは、その町の表面的なことかもしれません。それでも地域を訪ねるたびに出会いは想像を超えてくるので、もっといろんなところに行ってみたいという気持ちも増してきました。そして、訪れた地域にはまた近いうちに行きたいなという気持ちも増すので、次はどこで暮らそうかの脳内大議論会が繰り広げられています。

ー 青木さんの脳内大議論会、ダーツの旅みたいで楽しそうです。

じぶんのサービスを仕事と切り分けず、また頭だけではなく生活の肌感を通して価値を確かめていくスタイルは、じぶんらしいなと思います。

こうしたスタイルで暮らして働くことを会社に相談したときも「めっちゃいいじゃん」と背中を押してくれたみんなには感謝しています。また、安定した職場という意味ではなく、じぶんの心のよりどころとしてキッチハイクがあるからこそ、こうして暮らしに変化をつけていても迷わずにいられるのでしょう。

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他県に移る際はPCR検査を受けたり、ワクチン接種期間には戻れるように計画したり、体調管理に人一倍気を遣ったりと、ワ―ケーションとリスク管理はセットですが、こうしたご時世でも人や地域とのつながりが増えていくことをありがたく思います。

ライフワークは、ひととごはんを食べてつながること

―もともと青木さんが、人といっしょにごはんを食べたり、何かいっしょにやることについて興味を持ったきっかけはなんですか?

東日本大震災が起きた2011年は、ぼくが東北大学に入学した年でした。震災後、地域の人々の活動が大きく変わろうとする中で、その渦に巻き込まれるように教育NPO、国際交流、メディア運営、コミュニティづくりなど様々なプロジェクトに関わりました。その中でも「人とつながる場」づくりに興味を持つようになりました。

じぶんはハーフというマイノリティです。幼い頃ほど、そのことで寂しい思いを味わったように思います。一方で、大学に入り人と話すようになっていくと、じぶんの悩みがほかの人とも共通しているんです。視野が広がっていく中で、じぶんの出自がどうというよりも、社会のあり方に興味が湧くようになってきました。

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とくに関心があったのは、家庭のことです。そこには社会課題とまではいかないような目立たない苦しさがあったり、苦しくはないけれど不満があったりする。どこかに弱い立場の人がいて課題を抱えているみたいな話ではなくて、誰にでもあるつらさで、何か方法があれば課題解決ではなくて、人生ずっとどう向き合っていくかみたいなことが世の中たくさんあると気づきました。

―なるほど…。それは思いあたることが多いかも。

当時のじぶんにとっては、そうした世の中で人と人がつながることに希望を持っていたんです。ひととごはんを食べてつながることは、ライフワークだと捉えるようになりました。ついには友人とシェアルームをはじめるようになり、住まいに人を招くようになりました。じぶんにとって人とごはんを食べる時間は、ささやかですが日常が社会とつながる時間でした。

ー まさに、みんなでごはんを食べてつながる「キッチハイク」を、すでにやっていたのですね。

ユーザーさんのサービス愛が眩しかった

―そういえば、青木さんは入社前から、キッチハイクのユーザーさんだったんですよね?

そうです。大学卒業後、東京で働きながらパートナーと「恋するご飯やさん」という看板でPop-Upイベントを開いたのが、はじめてのサービス利用でした。宮城県登米市で農家をしている友人の野菜を食べてほしいなという想いで取り寄せて、晩ごはんをふるまいました。

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そのときごはんを食べに来てくれたお客さんのひとりが、キッチハイクのヘビーユーザーの方で、ご自身もイベントを開いていると聞き、後日今度はぼくがお客さんとして食べにいきます。
その日のメニューはスリランカカレー。バナナの皮にカレーとおかずをたくさん載せて、あまりの美味しさにおかわりまでしました。そのとき、キッチハイクの話でたくさん盛り上がったんです。ほかの人のイベントに参加したことがあるかや、ほかのヘビーユーザーさんについての逸話まで。こんなにサービスについて楽しそうに語るユーザーさんが多いのかと驚くとともに、そのとき別のスタートアップで泣かず飛ばずのサービスを展開していたじぶんにとっては、眩しく羨ましかったです。

―じゃあ、それをきっかけに?

はい。それから、キッチハイクを運営する会社のことを調べるようになりました。代表・山本の著書『キッチハイク!突撃!世界の晩ごはん』を読んで圧倒されたり、インタビュー記事を読んだりしてチームの世界観に共感していきました。そして、「ひととごはんを食べてつながる」ことをライフワークとしていきたいと考えていたじぶんは、この会社にじぶんの人生を賭けたいと思うようになりました。

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入社して一番良かったことは、価値観を一新できたこと

―実際に入社してみて、どうでした?

入社してからは、まるで未来に来たかのように、驚きと学びの連続でした。もともとじぶんで場づくりをしていて個人でできる限界を感じていたからこそ、キッチハイクの展開するスケールの大きさや、それを回す仕組みにとても心が湧き立ちました。

まわりのメンバーからもたくさん影響を受けています。いまこの転々としている暮らしも、代表の山本が世界中の食卓を訪ねたキッチハイクの旅に憧れているからでもあります。

入社してよかったことは数知れずありますが、その中でも価値観を一新できたことは、この先のじぶんの人生を大きく変えていくのだろうと思っています。

ー 入社後に価値観が変わった、印象的なシーンはありますか。

とくに象徴的だったのは、コロナ以降です。2020年2月下旬に世界的にコロナが蔓延し始め、徐々に事業にも影響が出始めました。もともとぼく自身は、食よりは「人との交流」に期待と可能性を感じてキッチハイクに入りました。それが2020年のコロナの影響で、リアルで出会いが生まれるというサービスを完全に停止することになりました。

それと代わるように始まったのが、飲食店を応援する「未来の飲食チケット」プロジェクト。そして、さらに継続して支援できるようにした「食と文化を旅するオンラインストア」開設、そして地域・生産者と楽しく交流しながら支援する仕組みの「ふるさと食体験」と、世の中の必要に合わせてサービスを展開してきました。

―コロナ以降は、本当に状況の変化が激しかったですよね。

このような大きな変化の中でも、メンバーの創造力はとても力強いものでした。さらには編集者やコピーライター、プロデューサーなど新しいメンバーも招きいれ、食体験プロデュースチームとして輝きを放ってきました。それは、交流が大きく制約される環境下において、事業の土台に「食」を据えたようにぼくには見えました。もともとぼくも交流部分だけを軸に持っていたわけではなく、食い意地は一人前で、食にまつわることは大好きでした。ただ、それ以上に食べるという行為はとても普遍的であり、また社会や暮らしの豊かさとの接点だということをサービスの遷移を通じて強く実感しました。食や文化に対して感度の高いチームがあって、それを追いかけるようにじぶんの価値観を変えていけた経験でした。

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未来に挑み続ける覚悟はチームから

現在、マーケティング、データ分析、アライアンス、事業開発などに携わっています。最近では、ふるさと食体験をオンラインで楽しんだあとに、次は現地で会いましょうとつなげるための旅行会社との協業などを進めています。

ー マーケティングは現状の数字と向き合うイメージが強いですが、事業開発として未来を描く仕事も手がけているんですね。働く上で、原動力になっていることはなんですか。

もともとぼくは、ひとつの会社にずっと所属するということは考えていませんでした。ぼくにとってキッチハイクは3社目の会社。いろいろな仕事を持ちながら、会社も変えていくのがこれからの時代、スタンダードになっていくとも思っていました。実際、時代はそうなってきていると思います。ただ、じぶんがどうありたいかは、キッチハイクで働き考えが変わりました。それにはチームメンバーの存在が大きいです。

―メンバーのどんなところに影響されているんですか?

メンバーの生き方がみんなカッコいいんです。それぞれ大事にしていることがあり、それを普段の暮らしや仕事に繋げていています。みんなが食や暮らし、社会への感度が高いので、感化される日々です。

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また、じぶんがプライベートのことでいちばん辛かったときに、みんなが気にかけてくれました。当時のメンターだった大野に「誰かが辛いとわたしも辛いから」と声をかけてもらい、代表の山本には辛さを受け止めてくれた上でユーモアでたくさん笑わせてもらい、「笑いは命綱」ということを教えてもらいました。苦も楽もともにできるチームに出合えたことは幸運でした。そしてじぶんもその一員として支え合う人になりたいなと思っています。

ー リモートワークになると、“どこで働くか”よりも“誰と働くか”が大事になってくると日々実感します。

長く続けるつもりでない仕事で、数年先の未来に責任を持ち働くことは難しいと思います。またチームに居場所を感じられず、続けることも難しいと思います。そしてぼくは、じぶんたちで取り組んでいくことに偽りのない希望を持ち続けたいと思っています。じぶんにとって迷わずいまがベストな環境にいると思うし、ここでなら未来のことに取り組めると信じてます。

―青木さん自身が、何よりもキッチハイクのメンバーと、キッチハイクのサービスそのものに愛情を抱いているのは、同じメンバーとしても伝わってきます。

キッチハイクで起きていることが、すごいんです。以前、じぶんが主体となって取り組んだアンケートで、「ふるさと食体験に当てはまるものはなんですか」と尋ねてみたとき「地域の応援になって嬉しい」という回答が最も上位を占めていました。ほかの選択肢にあった「おいしいものが食べられる」「その土地ならではの体験ができる」などを差し押さえてです。素敵なユーザーさんに恵まれていると思うとともに、そうした食べ手の意思を行動へと後押しするサービスを世に出せていることが誇らしくなりました。

キッチハイクの「ふるさと食体験」は、その土地に行ってもなかなか経験できないようなことが、体験できる。そのお店で食べても汲み取れないところまで、受け取ることができる。そういう豊かさを、望んで体験してくれる人たちがたくさんいる。それが誰かの応援にもなり、その活動に共感してくれる人たちがたくさんいる。そうした事業全体の価値を財産として、どうしたらもっと大きな社会的インパクトにできるだろうかと考えることがじぶんの役目であり、日々の楽しみです。

日常が社会を豊かにする

―青木さんの動きはとてもアクティブなんですが、ふだん、行動に移す際に心がけていることがありそうですよね。

たとえば、お店に入ってメニューを広げて「う〜ん、新しいものを食べたいけれど、失敗したくもない」という選択に悩むときがありますよね。あれは、人が古来から生きるために雑食動物となっていった一方で、知らないものを食べるという行為にはリスクを伴うために刻まれてきた歴史の記憶らしいのです。そうした可能性を広げることとリスクの調整は、日常にたくさん潜んでいます。

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そうしたとき、じぶんは少しだけ可能性を広げる方へ向かっていきたいな、と思っています。好奇心が垣根を超えていくことに、希望を見つけます。そしてそれを誰かひとりではなく、社会が選択していく方にやりがいを感じます。

ー“常に好奇心の垣根を超え続ける”多拠点生活の暮らしも、まさに希望を見つける旅なのですね。

今でも鮮明に覚えているのが、入社面談の最後に、代表の山本から尋ねられたことです。
「キッチハイクはこれからもどんどん変わっていくと思いますけれど、大丈夫ですか?」
それから2年半が経ち、コロナもあり、当時威勢よく「大丈夫です!!」と答えたときの想像以上にサービスは変わりました。

―キッチハイクは、むしろ変化を面白がれる人が多い気がします(笑)。

その中でも、キッチハイクが変わらない部分は、社会と暮らしの両方と向き合い続けてきたところだと思います。それは、ひとつひとつの行動の判断軸になっています。

ぼくらは、ひとりひとりの予約をチームみんなで喜ぶ文化があります。それは、キッチハイクを通した一食が、食べ手をひとつ豊かにした数であり、生産者や事業者の想いを届けた数であり、社会を豊かにした数だからです。「食べるほど楽しく、食べるほど社会が豊かになる」仕組みをつくっていくのが、キッチハイクなんだと思っています。

食べるという行為は、もっと社会とつながることで、世の中を変えていく可能性を秘めています。
じぶん自身も暮らしを楽しむ当事者でいながら、日常が社会を豊かにする流れを大きく大きくしていきたいです。

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青木 春隆 (あおき はるたか)
2019年3月入社
東北大学大学院理学研究科物理学専攻卒業。
現在、事業開発チームに所属。

コミュニケーションをテーマに、研究所専門のデザイン会社に就職。半年後に社員3名のスタートアップへ転職、研究機器のシェアリングサービス立ち上げに奮闘する。2年の試行錯誤の後、じぶんを含めた街の人たちが楽しめることのために生きたいと思い、暮らしと食が舞台のキッチハイクにジョイン。コロナ前は、パートナーと「恋するごはん屋さん」として料理を振る舞う側としてイベント開催をしていた。

<趣味>
誰かと食べるごはん

<好きな食べ物>
町中華、ウイスキー

<暮らしの変遷>
台湾生まれ。神奈川、千葉、仙台、東京。現在は、地域を転々して暮らす

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