原始仏教―その思想と生活 (NHKブックス 111) 中村元著

世の中にはいろいろな仏教の宗派がある。
ではそれら全部、釈迦が言ったことなのだろうか。

よくみると宗派によって述べていることは大きく異なる。
たとえば一切の生き物を犠牲にしないために肉食が禁じられていたり、欲望に埋もれることを戒めるために結婚を禁じる戒律を守っている宗派がある。
しかしそれは外国の話であり、日本のほとんどの宗派のお坊さんは妻帯し、肉食もしている。

なにより人類が皆、結婚しないなら滅亡してしまう。
本当に釈迦はそんなことを目指したのだろうか。
釈迦が本当に語った言葉を調べる必要がある。

歴史上残されているのは、釈迦の言葉をまとめた経典が挙げられる。
各宗派はそれらのうち一つを拠り所にして大切にし、その解釈について宗派独自の主張がある。

経典は、釈迦によって書かれたものではない。
釈迦は存命のあいだ、その考えを書物に記さなかったそうだ。
釈迦の教えはたくさんの弟子たちによって口伝で伝えられた。
釈迦はインドを中心に多くの地方に赴き、そこで種々の教えを説いた。
釈迦がなくなったあと、弟子たちが集まり、釈迦の教えをひとつにまとめる、経典結集が行われた。
経典結集は何度かに分けて行われた。
そうしてあるとき、書き言葉として弟子たちによって著されたのが経典である。
如是我聞(にょぜがもん「このようにわたしは聞いた」)と言うが、経典の始まりの部分の決まり文句である。

現在残されている経典で、もっとも古いとされているのが、中村先生が取り上げているパーリ語で記された経典である。

経典の成立については、しらべればしらべるほど、歴史ミステリーのような感じで興味深い。

それはさておき、この本で中村先生が述べられていて、わたしが個人的に魅力的に聞こえるのは、釈迦が生まれた時代、土地は、思想の楽園であったということだ。
中村先生は、世界史上まれに見るほど,支配者にも,なんの権威にも影響を受けずに,誰でも自分の思想を語り討論できる,一種の思想の楽園のような時代であったと書いている。

おそらく釈迦以外にも、いろいろな思想の持ち主が持論を展開し、ときにはぶつけ合って、洗練していったのだろう。
経典にも、そのようなエピソードもある。
そして、釈迦の弟子たちも、釈迦の教えについて活発に議論し、また釈迦以外の思想家とも討論していたのだろう。

とすると、現在のこされている多くの経典や、いろいろな宗派は、全部が正しいと言えるし、また違うとも言える。
一文一句に分けて、いつ、誰から誰に伝わったか、確実に釈迦の言葉に由来するのか、といった研究を積み重ねれば、中村先生が取り上げられたパーリ語仏典に行き着くのかもしれない。
そういった考証によって、釈迦の精神からかけ離れすぎと判断できるような宗派を見つけるかもしれない。

仏教の結論が、われわれに「死ね」と説いているのか、「生きろ」と説いているのかはとても興味深いのだが、なおいっそう私が興味を惹かれるのはそういった自由な討論と思想の深まりがあった「場」である。

そしてその場にまさにRemarkableな釈迦と仏教が生まれたこと。


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