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のうのうと生きていたから


こちらのnoteは、SHOWROOM社長・前田裕二さん著作『メモの魔力』巻末付録の自己分析1000問にアタックしていく様子を記したものです。


1/14の1000問ノックは、レベル2の32問目まで。また牛の歩みに逆戻りですが、何度もいうように1問だけでも手を付けることに意義があります。



中学生の頃の座右の銘は? という質問。皆さん、どうですか? 座右の銘はありますか。むしろ、中学生の頃に「座右の銘」を意識して生きていましたか?

私にとって、中学生だった3年間は「流されるように」生きてきた期間でした。なにか大きなもの、人の手や想いだけでは動かされないような大層なものの流れによって、”生かされていた”ような時期。

正直いってこの感覚は、いまでも少し残っています。

友だちと遊ぶのが楽しかった。
成績は良かった、むしろテストが楽しみだった。
家族との関係も良好だった。

学生の頃には戻りたくない、と常々言っている私ですが、中学生の頃、とくに1年生の頃に戻してあげるよと言われたら、「うん」と言うかもしれない。それくらい楽しい過去でした。

でも、「流される」ってある意味、退屈ですよね。安定はしていたけれど、先が読めていたから刺激はなかった。ああ、明日も楽しい一日がやってくるなあーとのん気に構えて眠りについて、翌日起きて、予想したとおりの楽しい一日がはじまっていく。

楽しかった。
でも、退屈だった。

見る人が見たら「けしからん」と怒られるでしょう。苦労を知らない日本のゆとり世代が何を、って。でもね、ゆとり世代にさせられたのだって、国の施策ですからね。私は今でも自分のことを被害者だと思ってますよ

日本に「自分の意志がない」若者が増えたのは、教育のせいだよ。

とまあ、謎な上から目線を発揮したところで。そんなんだからね、座右の銘なんて意識もなく、のうのうと生きてしまったんです。

自分の意志で物事を決めて、生きてこなかったからこそ、「自分軸で生きる」という今の人生軸が定まったのかなあーとか。そんなことを思ったりもしました。

「座右の銘」ってほんと人それぞれですよね。

これを読んでくださったあなた、コメントでもDMでもいいので、「私はこんなことを考えながら生きていた」っていうのを、こっそりと教えてくれると嬉しいです。





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北村有
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