本質的な魅力とは?というはなし
こちらのnoteは、SHOWROOM社長・前田裕二さん著作『メモの魔力』巻末付録の自己分析1000問にアタックしていく様子を記したものです。
今日はレベル2の35問まで!
相も変わらずのスローペースです。明日はメモ魔会、日曜にもメモ魔会なので、今週中にブーストかけられるように頑張る!
「小学校の頃」も思ったけど、「好きなところ」と「尊敬できるところ」の違いがまだ見つけられていない……。
この辺りも言語化できるようになりたいなあ。日本語難しい。
中学校の頃は、人生史上もっとも頭が良く、テストの点数もすこぶる良くって、学年順位も3位とかでした。毎回テストの日が来るのが楽しみで仕方なかった。自己顕示欲の塊だったので、自分の価値をまわりに知らしめられるチャンスな気がして最高に楽しかったんですよね。
でもそれは、決して「自分の頭で考える力があった」ってことではない。
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大学生くらいの頃からじんわりコンプレックスに思っていること。私には思考力がない。コピーライティング界隈でいう「散らかす」能力に欠けている。
つい昨年、「伊豆に銭湯をつくるからそのコンセプトをつくれ」っていうコンペに応募したときも、「圧倒的に思考力に欠けている」って言われてトラウマが掘り返されて号泣した。
覚えられる=考えられる、ってことでは決してない。
学歴なんてくそくらえと思う自分と、高学歴に憧れる自分とに板挟みにされて苦しいけど、でも本質的には「どんな良い学校を卒業したかorどんな大手の会社にいるか」は関係ないと思ってる。
私の尊敬している人は高卒の人が多いし、会社には入らないでフリーランスで仕事を獲っている人がほとんどだし。
でも、自分の頭で物事を考えて、クリエイティブな発想ができる人には心底憧れる。慶応卒にそういう人が多い気がしてまたコンプレックス刺激される。
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わりとどのコピーライティング・セールスライティング系の本を読んでも、「センスは後天的に身につけられる」って書いてあるから(もちろん年単位の血が滲む努力は要るんだろうけど)、希望はゼロではない。
けど、努力して身につけるそれと、元々あるものを努力でさらに伸ばすのとでは……次元が違うんだろうな、とも思う。
難しいなあ。
でも憧れと努力が止められないんです。