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なんでこの世には処世術が蔓延しているのか

ちょっとしか会って話せなかった初対面の人と、あらためて時間をとってしっかり一対一で話したい、といつも思うのだが、相手も同じ思いでいてくれているかわからず、誘えない。「社交辞令じゃなく、ぜひまたご飯でも!」と、どちらの方向にもいけるジャブを打ち、相手が具体的な日程を投げてくれるのを密かに期待してしまう。

なんでこの世には社交辞令とかお世辞とか建前とか、大人が上手い距離感で社会をまわしていくためだけに生まれた処世術が蔓延しているのか????? ご飯行こ! って言ったら黙って行くんだよ! それじゃダメなのか?????

最近いろいろあって初対面の人と会って挨拶する、みたいなシチュエーションが多発したので、ちょっとあらためて書いておきたい。私が「ご飯行きたいですね〜!」って言ったら、それは本当に日程を合わせてご飯に行きたいですね〜! ってことなので、ちょっと強めに誘っていただきたい。

そして、あなた側にそういうつもりがないのであれば、「都合があえばぜひ〜!」と言って流してください。私は上手いこと察して、自分から積極的に誘うことはいたしませんので!!!

私は30代半ばだし立派な大人なんだけど、いわゆる大人あるあるというか社会人あるあるというか、普通の大人の距離感だったらこういう感じだよね〜みたいな暗黙のルールみたいなのわからなすぎてプロセスをぶっ飛ばしちゃって、ちょっとでも「この人ともう少し話したい!」と思ったら猛スピードで距離を詰めすぎてしまうんです。それで何度も失敗したし、人間関係ムリ…………って絶望したから会社ぜんぶ辞めてフリーになったの。

仲良くなりたいと思ったら仲良くなりたいんだもの、男女問わず。でも世間的には、それが「特別な好意を持ってるから」とか「唯一無二の親友になろうとしているから」とか、なんかそういう「ほかとは違う」みたいなニュアンスを帯びやすいようで、つまり温度差が発生してしまう。

私の思考はシンプルで、捉えようによってはドライです。もっと話したい! →→ ご飯行こ! たったこれだけ。一回飲んだら友達。それ以上には進むかもしれないし進まないかもしれないし、一回飲んだっきりで関係性が途絶えるかもしれないけど、それはまた別の話。

つまりは何が言いたいかって、お互いにもう一回あらためて話したいなって思ってた場合の、一回目のご飯の誘い合いにまつわる探り合いの時間がなんとも〜〜まあ〜〜〜面倒の極みなので! でも! 自分から具体的に日程を詰めるのは上記の理由からトラウマと化しているので「あなたから誘ってね!!!」と強めにワガママかましているわけです。

めんどくさいよね。私もそう思う。めんどうな私でもいい、と思ってくれる人としかもう遊べないよ。だって30代半ばだもん、そこそこ適度に疲れてるから。でも飲みには行くから誘って。

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北村有
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