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なぜ私にとってMリーグはつまらなくなってきたか

 テーマは表題の通りである。

 私が初めてMリーグ観戦したのは2019-2020シーズン、Piratesの優勝で幕を閉じた年のことである。きっかけはYouTubeで見た麻雀警察のこの動画。

(…と思ったのだが、この動画のアップロード時期が4年前、つまり2020年となっていて私のパイレーツが優勝した決勝戦の記憶と前後する。
 もしかしたら実際のMリーグを見た後でこれを見たのかもしれない。…いずれにせよ、久しぶりに見たこの動画、内容の適切性を問題にしなければ、やはりテンポ・スピード感とワードチョイスの素晴らしい神動画だと思います。)

 毎試合、どのチームが出場する時だって、食い入るように見ていた時期もあったはず。しかし今は、ながら見、チラ見程度。なぜこんなに見なくなってしまったのだろうか???


推しチームが勝てないから?

 私はいわゆるMリーグの「箱押し」タイプの観戦者だった。強いてチームを挙げれば渋谷ABEMAS、個人で言えば多井さん、魚谷さん、本田さんを応援していた。ABEMASの調子はここ2年悪い。単純に、贔屓チームが勝てていないから見る気持ちが弱くなってきているのか。ちなみに私はプロ野球なら長く近鉄ファン、阪神ファンだが、勝てない時期は試合見たくないタイプです。確かにそれが原因かもしれない。
 でも、それだけじゃない気がする。

麻雀に飽きてきたから?

 そんなことはないと思う。天鳳は相変わらず打ち続けている。打ってるときはとても楽しい。大体私は将棋はあきらめて麻雀のフィールドに来たのだ。もう少し強くなるまで、まだあきらめられないのだ。元来凝り性で飽きが来にくい性格、ほんの5年程度ののめり込みで飽きてしまうほど「やわ」ではないと思う。
 当然、麻雀に飽きてきたからMリーグも見なくなった、というわけではない気がする。

何に飽きてきたのか?

 もし飽きてきたと言うなら、「Mリーグに」飽きてきたのだろう。それはそうかもしれない。じゃあMリーグの何に飽きてきたのか??
 「飽きる」とは、同じことの繰り返しに対してワクワクする気持ちが失われる状態を言うのではないだろうか。そうだとすると、Mリーグの一体どこが同じことの繰り返しだというのか。毎年新加入者も増えている。思わぬ退団などもあった。昨年度は新チームも増えた。マンネリ化を防ぐ手立ては機構側も講じておるぞ。

 いや、しかし。

 私は気づいてしまったのだ。
 麻雀観戦自体が持つ構造的欠陥に。

 私は典型的な「Mリーグから麻雀観戦を始めた」人間である。私と同じような立場の人は、この5年目・6年目といった時期に多かれ少なかれ同じ問題で悩まされているのではないか。

 つまりこういうことだ。

 麻雀の観戦という行為は、出場選手の技術を盗む・勉強するといった名目でなしに単純にプロスポーツのように観戦してその勝った・負けたに選手とともに一喜一憂するエンターテイメントとして接するならば、

「毎年毎年、その年に最も運が良いチームがどこかを自分の目で見届けていくだけの生産性の少ない行為」だということに。

 気づいてしまったのだ。

 こう言うと反論は多いかもしれない。確かに他とは一線を画す技術の持ち主、明らかに抜きんでた成績を残す一握りの雀士がいる。しかし、それがたった年間96試合という試行数の少なさの中で言えば、ツキで上回ったやや格下の雀士が楽に上回れるほどの差でしかないというのもまた事実だと思うのである。

 麻雀の中継は、基本的には、一年間の運比べを見せられている!

 そんなの当たり前じゃないかって? それはもう随分長いこと麻雀観戦を続けてきた人の言い分でしょう。
 要約すると、私は「運比べを見続けて一喜一憂する一年間を毎年繰り返すこと」に「飽きてきた」のではないかと思われる。


真の実力を備えた者だけがMリーガーになった方がいいのか?

 幼いころから野球などのアマチュアスポーツ・プロスポーツをテレビで見てきた。はたまた、将棋という頭脳競技の中継にも触れてきた。その画面の向こうには、自分では決して技術や力の及ばないプロ選手の神業・スーパープレーが見られた。自分の住んでいる世界とは明らかに別世界だという実感があった。そこでは、多少の運・不運が勝負を分けることはあっても、運そのものが勝敗を大きく分けていると感じることはなかった。

 Mリーグを見始めた当時の私の麻雀の実力は、ざっといえば天鳳2段である。しかも、実力はあるのにプレイしていないから2段とかそういうわけではなくて、それより上に上がりたいのに上がれない実力2段である。Mリーガーたちの打牌意図やら何やらについていくのでさえ解説の力を借りてようやくのこと、ましてやそれを批判・批評するだなんて夢物語である。そこには多少の「別世界感」があった。

 現在それが6段になった。5年もやってまだ6段かよ、と我ながら思うが、まあいい歳してから入門したようなものなのでまだまだこれから、と自分を慰めておくことにする。いずれにせよ、これくらいになるとMリーグでの対局の各者打牌の意図や、またSNS上でしばしば話題になっているMリーガーの打牌批判の趣旨もわかるようになった。たまには「今のそれで本当にいいの?」とリアルタイムでまずい打牌に気付くようなこともないではない(でもまあそれは中級者の自分では思いも及ばない何かしらの意図があるのだろうけれど)。

 では、自分の麻雀の実力が上がってMリーグを楽しく見られるようになったか? 答えは、「否」である。むしろ面白くなくなっている。

 それは、多少なりとも自分が強くなることで、Mリーガーにかつてプロ野球選手や将棋棋士に感じたような「自分の世界とは異なる圧倒的な実力感」を感じられなくなったからか? と聞かれれば、「確かにそうだ」と答えないこともないかもしれない。

 でも、「じゃあMリーグは渡辺太・堀・仲林のような他とは一線を画す実力の持ち主ばかりをとにかく集めてきた方が面白くなるか?」と聞かれれば、「それは違うんじゃないかな」。
 
 強い人をとにかく集める。そもそもそれではダメだったんですよね。RTDリーグとか。あまり詳しいことは知りませんが。各麻雀プロ団体のAリーグやタイトル戦がMリーグほどの注目度・興行性を持っているなら、そもそもMリーグを作ろうという動機そのものが生まれてこなかったんですよね??? それではダメだったからMリーグ設立のベクトルが働いたんですよね。

 現状くらいまでの選手構成のバランスで、いかに魅せるか、ということを探っていった方が、将来的にはエンターテイメントとして安定するように私は思う。

違和感のあった実況・解説

 昨シーズン、BEASTの中田選手が出場した試合を見ていたときに、個人的にものすごく違和感のあるシーンがあったのを覚えている。恐らく実況・解説が日吉・村上淳のコンビだったと思うのだが、中田の手牌が広い1シャンテンに受けるか手狭に受けるかといったAかBかの選択になったときに、「(中田選手は)Aを選べるかな」(日吉さんの例のテンションで「中田よAを選べ」とまで言っていた気もする)というような、「明らかにこの局面での正解はAだとわかるようなコメント」が聞かれたのだ。

 これまでMリーグでは、選手が損な選択をしたかと思われる時も、実況・解説はどちらかと言うとそれを隠すような・濁すような、必死で選手の打牌意図を想像してフォローするようなコメントがよくなされてきた。しかし昨年、元乃木坂で鳴り物入りの加入とは言え麻雀の実力そのものには疑問符がついていた中田が試合に登場すると、しばしばこのような「はっきりとした善悪」が示されることがあったのである。

 じゃあこれまで散々聞かされてきたフォローは何だったの?
 なぜ中田一人だけがこのような扱いをされなければならないの?
 中田がそう扱われるのなら他選手にも同じようにコメントすべきでは?

という思いは確実に私に兆した(別に私が乃木坂押しだったからとかそういうわけではない)。

「堀選手の打牌意図は難しすぎて私にはわかりません」

こういう解説があってもいい。私にもわかる。野球だって、往年の落合選手の打撃理論を解説できる解説者なんてほとんどいなかったであろう。でもプロ野球の世界では若い選手がまずいプレイをすれば大体こき下ろされるし、相手が若くなくても解説者が選手のプレイを批判していることは多々だし、少なくとも一部(一人)の選手だけが他と異なる低い扱いをされるなんてシーン・空気にはお目にかかったことがない。

 Mリーグ中継において、対局そのものをどう伝えていくか、実況・解説はどういったスタンスで選手のプレイ・選択をコメントしていくかということも、そろそろ過渡期に入っているのではないだろうか。


M斬るチャンネル の登場

 そうして迎えたこの2024-2025シーズン、You Tube上には一つの話題コンテンツが生まれている。正確に言えば私はその「話題」にXなどでリアルタイムでついて行っているわけではないので、「話題になっているらしい」としか言えないのだが、とにかく、魅力的なコンテンツが生まれている。

 それが「M斬るチャンネル」だ。↓こんな感じ

 典型的中級者の私にはちょっとまだ真似できそうにない読みの内容。明快な語り口。言語化のうまさ。どれをとっても私レベルの者にとっては麻雀上達に向けての考え方を知る上で有効なコンテンツであろうと強く感じている。そう感じさせるだけの説得力がある。

 このチャンネルの登場はMリーガーとのやりとりを通じてMファンに話題を提供しただけではなく、またある重大な事実を私達に知らしめるものでもあった。それは、

 巷には、まだまだ、いくらでも麻雀が強い人はいる。

ということ。

 そして、Mリーグは「ほんの一握りのトッププロ」だけが出場できるリーグかどうかということが(初期の頃から怪しかったのかもしれないが)はっきりと怪しい。

ということ。

 強い人ばかりを集めれば集めるほど過去の上手くいかなかった企画をなぞる線に近づいていき、わずかな技術差の選手たちが一年かけて運くらべをする様子を配信することになる(すみません、かなり誇張して表現しています、優れた選手の繊細な技術を揶揄しているものではありません)。
 トッププロに比べればやや技術に劣っても人気で勝る打ち手やインフルエンサーを重視するこれまでの選手の路線を継続するなら、「ほんの一握りのトッププロ」が集うとするMリーグのうたい文句とは乖離する方向に進んでしまい、技術的には問題のあることも多いかもしれない選手のプレイを無理に飾り立てた中継を見せられることになる。

 Mリーグはこのような矛盾を抱えていると思われる。それを見るのに私は飽きてしまったということか。

 

何によって差別化を図るか・余談

 各プロ団体タイトル戦・最高峰リーグや、天鳳鳳凰卓や雀魂王座の間などとの違いを出していこうとするなら、Mリーグならではの試みやルールを創出していくしかないだろう。

Mリーグの一番のアイデンティティは何だろうか。
私は「チーム戦」だと考える


 控室の配信やチームイベントなどによって「チームワーク」面を魅せる工夫はされてきたと思うが、肝心の「チーム戦」そのものを盛り上げるルール作りがイマイチなされて来なかった。現状のルールでは、はっきり言って4人が順番に・順不同に登場して、麻雀を打って、勝った・負けたの繰り返しである。個人戦の延長線上でしかない。

 麻雀は将棋などと比べ、ルールに柔軟性があるのが一つの良さであり難しさでもある。せっかく「赤5入り」という各プロ団体リーグ戦で採用されていないルールを採用しているんだから、そこに天鳳や雀魂で個人レベルでは採用のしようもないチームルールを入れ込んでいけば、Mリーグでしか見られない麻雀が誕生するのではないだろうか?

 各所で言われていることとは思うが、是非実現してほしいルール改正がある。

① レギュラーシーズンの、選手一人あたりの必要最低登板数と最高登板可能数の差を狭める。具体的には、現状の96試合ならば22以上26以下であること。
② セミファイナルとファイナルの登板数は各選手均等とすること。

 これによって、「最高の個人競技が、最高の団体競技になる。」のコピーが、ようやく説得力を増すと思う。また、「現状のメンバー構成で本当に優勝が狙えるのか」を各チームの首脳陣が真剣に考えると思う。

③ 選手の試合途中での交代をありにすること。
 
 具体的には、「1試合で交代は1回まで、南場に限る」、「途中出場は登板数に含められず、途中出場した試合の直後の試合には出場できない」などの制限を設けるとよい。

 これらは「監督」の仕事を増やすためのルール提案でもある。現状の監督は出場選手の決定などをイニシアチブを握って行っているのかもしれないが、どれだけMリーグにおいて重要なポジションなのかはファン目線でははっきり言って不透明である。
 
 選手起用と言ったって、現状のルールであれば「強い選手を多めに出せばよい」「各プロ団体の公式戦の日程に配慮する」などのアバウトな判断が求められているだけだとも言える。

 そうではなくて、今より選手の登板数が細かく規定されたとき、それにおさめるために好調・不調の選手をどうローテーションするか、またプラスを広げたいとき・マイナスを抑えたいとき・典型的な条件戦となったときなどにどのように交代選手を使っていくか、などの判断が監督に必要とされたならば、Mリーグにまた新たな、他の公式戦では見られないような魅力が生まれていくのではないだろうか。また、プレイングマネージャーを務めるような新たな選手の可能性も生まれていく。

最後に

 こうダラダラと書いてきて思ったのだが、私は正直今中途半端なポジションにいるのかもしれないと思う。

 選手のスーパープレイ(っぽいプレイ)に接しても初心者の時ほどはそれを素直な目で喜べない。細かな技術を持った卓越したプレイヤーの妙技に接しても、それがどれくらいすごいプレイなのかまでは自分の実力的に推し量れない。よくわからない。どこかのチームのファンクラブに入っているわけでもない。試合後の選手が行う検討配信に熱心に付き合っているわけでもない。そういうライトで中途半端なポジションにいるいちアマチュア麻雀プレイヤーが表面的に見ているMリーグの不満、戯言だったと言えるかもしれない。

 でも、プロスポーツ化されて万人に視聴開放されているMリーグは、万人のものだ。その万人のうちの一人が感じることが多少独りよがりで限定的な言い分だったとしても、それもまた何らかの真実性を衝いているということを期待して、結びとしたい。

 



 

 

 


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